中山道脇街道 与川道を歩く 9月21日快晴。久しぶりに街道歩きに出かける。午前7時34分JR金山駅発,臨時快速列車ウオーキングさわやか号に乗車。この列車はJR主催のイベント行事がある時だけ走る列車であるという。いつもはこの列車より1時間後の金山8時50分発のナイスホリディ木曾路号という列車に乗って出かけることが多い。こんな列車が走っていることを今まで知らなかったのだが,昨日,通勤途中で偶然にもこの列車が走っていることを知って,今日の街道歩きを決めた。
列車に乗り込むと車内は半分くらいの混み具合いであった。とは言っても,この列車は9両編成である。前6両は指定席で,510円の指定席券が必要である。もちろんほとんどの客は自由席車両に乗っている。私は,老人二人が座っている座席の隣に席をとった。この列車は今日は木曾福島まで行く。毎回行く先が変わるようだ。今日はどんなイベントが計画されているのだろか。隣の老人二人がパンフレットを開いて話している。横からパンフレットを覗き込むと,上松から駒ヶ岳・寝覚めの床のウオーキング10km,3時間の旅という文字が見える。どうやら今日は上松でイベントが企画されているようだ。
車内を見回すとほとんどが中高年である。若い人の姿はなかった。朝早い列車がほぼ満席に近い状態を(指定席を除けばではあるが)考えると,今日の企画は成功しているように思えた。
列車は千種,大曽根,高蔵寺,多治見といつも走っている快速電車以上に止まる駅が少なく,急行並のスピードで走って行く。検札に車掌がやって来た。私は南木曾行きの切符を差し出したが,他の客は,フリー切符のようなものを2枚見せている。ほとんどの客が同じ切符を見せていた。やはり,上松からのウオーキングに参加する客ばかりであるようだ。車窓に田園風景が広がっている。黄色く色づいた田圃の稲と畦道に真っ赤に咲くヒガンバナが目に飛び込んでくる。今日の街道歩きでは間近にそれを見ながら歩けると思うと気分がわくわくしてくる。中津川で客がいっぱい乗ってきた。やはり上松でのイベントに参加する客のようだ。中津川まで先の普通列車で来ていて,この列車に乗ってきたようである。自由席は立っている人もいる。指定席も座っている客が増えているのではないだろうか。秋の行楽日和も手伝い今日のJRの企画は大成功のようだ。
9時1分南木曾到着。降りた客は私を含めて4名。まだ,時間も早く,南木曾から妻篭,馬篭へ行く客はほとんどいないようである。駅前の道を旧中山道に向けて歩いて行く。
先ほど列車を降りた人も同じ道を歩いて行く。10分程でSLの蒸気機関車が設置してある公園の所に着いた。ここで,妻篭方面と与川方面に分かれる。道標が立っている。こちら妻篭,こちら与川を経て野尻駅と表示されている。いっしょに歩いてきた人は妻篭へ行くようだ。私は与川を経て野尻駅まで行く。駅前でもらった地図で確認すると,野尻まで約5時間とある。昨年11月に1度歩いたことがあるので,だいたいの予想が立った。まずは昼までに与川村に着くことを目標に歩き出した。与川への道は道標では中山道と表示されている。
歴史的には中山道が大雨や洪水で通れなくなった時に脇道として使われた道である。正式には現在の南木曾から野尻までは国道19号線が旧中山道である。しかし,南木曾町は,歴史の道としてこの与川への道を中山道と表示して,ハイキングコースに設定し,道の保存も併せて整備している。
与川への道を歩き出してすぐ,美しいコスモスの花の色が目に飛び込んで来た。家の庭先に植えられたものであるが,一株の大きさは都会では見られないほど大きい。一株に100以上花を付けている。さっそく写真を撮った。少し歩くと今度は,大きなヒマワリの花が咲いていた。この南木曾町の人たちは花を庭先に植えている。町の人たちの優しい心が伝わって来るようだ。今日は庭先の花を見るのも一つの目的にすることにした。
本陣跡を過ぎるまでにもう10枚以上の写真を撮っていた。止まる回数が多いので,今日は予定より時間が掛かるかも知れないと思ったが,出発時間が早いので,安心して歩けそうだ。
この道は,道標がきちんと整備されていて大変歩き易い。まず道を間違えることはない。前回と比べると道標の表面に書いてある字が読み取り難くなっている。青い色が最初は塗ってあったのだと思うが,その色はほとんど落ちてしまっている。きっと,この道標を設置した時は町にこの与川への道を宣伝することで観光客を誘致しようという意気込みがあったのだろうが,その後,ほとんど道標については点検,修理がなされていないのではないだろうか。再整備の必要を感じた。

南木曾の町を離れると,緩やかな上り道になった。道の脇は段々になった田圃が広がり稲が穂を重そうに垂れ,稲刈りの時期を迎えていた。今時にしては珍しい光景が広がっている田圃を見つけた。竹で稲架が組んでありそこに刈り取った稲が干してある。農家のほとんどがコンバインで刈り取ってしまうとばかり思っていたので,びっくりした。今時このような手作業による刈り採りと稲架で稲を乾燥させる農作業が残っていたことに感動さえ覚えた。今回はこれから先でもこのような光景をたくさん見ることができた。
1時間程歩いて廿三夜塔に着く。二十三夜の遅い月の出を拝み,豊作などを願ったと案内板に書いてある。そのすぐ横の田圃の周りに電線が張ってあった。見ると「危険,電気が流れています」と表示されている。動物避けに張り巡らされているようだが,歩くものにとっては物騒な話である。触らないように気を付けて歩いて行った。
道は自然歩道が多くなった。草はさほど伸びていない。地域の人がこの道を歩く人のために刈り込んでいるようである。しかし,今日は季節柄もあり,ハチやヘビに出会うかもしれないので,十分注意して歩いて行った。
出発して2時間程で小川野平という村に着く。予定通りの速さで歩いているようだ。前回この村を歩いた時にびっくりしたことがある。この道が人家の庭の中を通っていて,庭で野良仕事をしていた家の人に「本当にこの道を歩いていいのですか」と尋ねたことがあった。今日も同じ所を通るのではないかと思っていたが,案の定,前回と同じ家の庭に出てしまった。今日も庭先で婦人が洗濯ものを干していた。「こんにちは」と挨拶すると「こんにちは」と笑顔で返事をしてくれた。この道が人家の庭の中を通っていることにびっくりしているが,もっとびっくりしているのは,普通ならここは迂回させて新しい道を作り,そちらへ身も知らぬ人たちは歩かせてもよいのではないかと私なら考えてしまうのだか,この家の人は,おおらかさがあるのだろか,平気で通してくれていることである。歩くのが今日は私一人であるが,イベントでも開催されれば数百人という人が歩いて行くことになるのではないだろうか。この村の人たちのおおらかさと温かさを感じた。

今日はここでハプニングがあり,もう1軒の家の庭でいきなり犬が飛び出してきた。犬は苦手なので一瞬どうしようかと思ったら,すぐ後から飼い主の人が出て来てくれて,安心した。人の庭の中を通るのであるからしかたのない話である。この家の人もにこやかに笑って「どうぞ通ってください」と声を掛けてくれた。この村に住む人の優しさは,この地域の自然と無関係でないような気がした。この地方の冬の厳しさは想像を絶するものであろう。低温と積雪で閉じ込められてしまうことも度々あるのではないだろうか。そんな自然の厳しさがおおらかで優しい人柄に何か関係があるのではないだろうかと都会に住む私には思えてきた。

出発して3時間。与川の村に着いた。とても自然の美しいところである。たまたま田圃を見回りにきていた人に出会う。この地域でも田圃に電線が張ってあるので,その理由を尋ねると,イノシシの被害が多いので,イノシシ避けに電線を張り巡らしていると教えてくれた。

緩やかな坂の上に阿弥陀堂があった。時間はもうすぐ12時。ここで昼ご飯を食べることにした。阿弥陀堂の横には水飲み場が設置されていた。口に含むと自然水のおいしい水であった。朝,金山駅構内の売店で買ったおにぎりを食べた。美しい自然の景色を見ながら食べる弁当は,例えそれがほっか弁であっても格別の味である。よく見ると阿弥陀堂の前の田圃にも稲架が作ってあった。ここでも手作業で稲刈りをし, 稲刈りをしている村の人はいろいろな所に紹介されている。交通機関から遠く離れた山の奥の農村風景を目の前にして,今日の目的の大半を達成し,充実した気持ちが心の中に広がっていた。
30分程休憩し,出発。根の上峠を越えて野尻駅を目指す。2時には野尻駅に到着できそうである。竹林の道,杉林の道など自然歩道の上り道を峠目指して上って行った。汗が吹き出し,心臓の音が聞こえてきたが,きつい上り道を一気に上り詰め40分程で峠に着いた。根の上峠は林の中にあり,視界がきかなかった。地図を見ると,野尻駅までは林道を下ることになっていた。少し休憩してから,緩やかにカーブした林道を下って行った。前回きた時はここからの下り道はただの林道で見るものが何もなく,たいくつな道であったことを思い出した。今回も期待しないで下って行ったが,前回に比べて季節が1カ月早かったことで,下る楽しみを発見した。それは林道の脇に秋の草花が美しい花を咲かせていたことである。ススキ,ツリガネニンジン,オミナエシ,フジ、バカマノギク,ツリフネソウ,タデの仲間など秋を代表する美しい花を見ながらの下り道であった。写真もたくさん撮ったが,技術的に未熟なのでうまく映っていないだろうと思った。
林道は途中から急坂に変わったが,約1時間程で今日の最終目的地,野尻駅に無事到着した。駅の時刻表を見ると次の列車は2時43分発である。まだ1時間近くあるので,どこかに喫茶店があれば入りたいと思い,駅前の通りを歩いてみたが,残念ながら店を見つけることはできなかった。
野尻の町を歩いていて,ダム建設反対のポスターがたくさんの家の玄関にはってあることに気が付いた。木曽川を挟んで野尻の町とは対岸になる所に阿寺渓谷というところがある。そこにダムを建設するというので反対運動が起きているようだ。ダム建設に伴い木曽川が汚れたり,自然が破壊されたりすることになるとポスターは訴えていた。昨年来た時にはそのようなポスターは見ていなかったので,反対運動が町全体に広がってきていることが分かった。名古屋に住む私も今後ニュースなどで知ることができるようになるのかも知れないと思った。
酒屋で缶ビールを1本買い,駅のベンチに座って飲むことにした。野尻駅の構内を見回すといろいろ貼紙がしてある。「村内3駅の営業時間に協力を」「営業時間は7時30分より5時30分」「定期券,座席指定券の購入は事前に申し入れを」など駅の業務についての物が多いことに気づいた。改札口を見ると,カーテンが閉まっていた。今日は日曜なので休みなのかと思っていたら,カーテンが開いて,年輩の駅員が窓の向こう側で仕事を始めた。どうやら次に発車する列車に合わせて仕事を始めたようである。さっそく,切符を買うことした。中津川までの切符を頼みながら,この構内の貼り紙が業務に関することが多いので,そのことについて質問すると年輩の駅員はいろいろ親切に教えてくれた。「自分は正規の職員ではなくJRを退職して今は委託職員である。村内3駅とは野尻,大桑,須原である。勤務は時給制ではなく,売り上げによる歩合制である。3駅の内,野尻駅は1日の売り上げが10万円はあり,何とか採算がとれるが,大桑駅では1500円にもならない日がありとても採算に合わない。3つの駅の3人の委託職員でプール制にして何とか仕事を維持しているが,それでも採算に合わないので,村から補助金が出ている。」という内容だった。JRが民営化され,採算に合わない路線が合理化される中で,この大桑村では深刻な事態を迎えているようだ。やがて,この駅も無人化されてしまうのかもしれないと感じた。私の乗る列車は2時43分だが,それ以前の列車は何と11時になっている。11時の列車に乗り遅れた人は3時近くまで待たなければいけない状態になっているということだ。年輩の駅員は「今では定期券を買って通勤する人がめっきり減ってしまった。ほとんどの人が車で通勤している」と嘆いていた。
3時43分,予定通り中津川行きの列車が到着。ほぼ満席の状態で列車は野尻駅を出発した。野尻駅で乗車したのは私を含めて5人であった。私は途中中津川駅で下車し,中津川で有名な「すやの栗きんとん」をみやげに購入し,快速電車に乗って18時にJR金山駅に戻ってきた。秋の自然をしっかり満喫できた街道の旅の1日であった。