山陰路の旅
11月21日(金) 高浜~天橋立~丹後 午前5時起床。小雨が降っている。今日は天候が悪そうだ。

長距離トラックが引っ切りなしにやって来る。トラックは、しばらく停車し、再び発車して行く。長距離トラックの運転手が大変な勤務をしていることが想像できる。一つ間違えば大事故につながる車の運転。最近、長距離トラックによる大事故が立て続けに起きているが、深夜走り続けなければいけない所に最大の原因があるようだ。事故のほとんどが、深夜から明け方に起きていることからも分かる。トラックから降りて来た運転手が、眠そうな様子でトイレへ入って行った。しばらして用を済ませた運転手が出て来た。シャキッとした姿勢で歩いて行く。元気になっている様子だった。交通事故を減らすために「道の駅」が果たしている役割はなかなり大きいようだ。旅人は寝床を片付け、椅子を起こした。それからお湯を沸かし、コーヒーを入れた。朝食はコンビニを見つけておにぎりでも買うことになりそうだ。
午前8時半、東舞鶴港に到着した。港近くのコンビニでおにぎりを買い、船着場に車を停め、海を見ながらおにぎりを食べた。熱い味噌汁が美味しかった。雨がかなり強くなっていた。小さな定期船が船着場に到着し、10人ほどの勤め人が降りて来た。近くの島と舞鶴の港を結んでいる定期船のようだった。時間になり定期船は出港して行ったが、お客は1人も乗らなかった。

東舞鶴の町へ入る時に「引揚記念館」という案内板があるのを見つけた。今からそこへ行くことにした。満州やシベリアからの引揚者が帰って来た港が舞鶴港だった。戦後生まれの旅人には、話で聞くだけなのだが、上さんの両親は、満州からの引揚者だった。シベリア抑留者だった父親は、今は亡くなってしまったが、シベリア抑留で大勢の戦友が命を亡くしていった話を、旅人は聞いたことがあった。引揚者の母親は、現在、旅人と一緒に生活している。満州開拓に出掛け、向こうで終戦を迎え、命からがら日本へ帰って来た母親には、悲しくて辛い思い出がある。今でも戦争当時のことについては多くを語らない。「引揚記念館」へ旅人が行ってみようと思ったのは、そのことがあったからだ。

駐車場に車を停めると、「母は来ました 今日も来た」という歌が聞こえて来た。引揚者の息子を待つ母の悲しい気持ちを歌った「岸壁の母」は、この舞鶴での出来事だった。入場料300円を払って建物の中へ入ると、満州開拓の様子を当時の新聞や写真で紹介していた。特に目を引いたのは、シベリアの抑留生活を紹介する模型だった。当時の衣服や防寒具なども展示されている。本当に粗末な防寒具だったということが分かる。抑留されている人たちはガリガリに痩せこけていた。暖房らしい暖房もなく、極寒のシベリアでの抑留生活がいかに酷いものであったかが理解できた。舞鶴へ引揚てきた様子を知らせる新聞も展示してある。13年間で66万人もの人が舞鶴港に降り立ったということだった。

特別展もあり、抑留生活を表現した佐藤さんという人の油絵も展示されていた。辛い抑留生活だったという様子が伝わる絵だった。「戦争を知らない世代に『平和の尊さ・平和の祈り』を語り継ぐ施設として、この『引揚記念館』が建設された」という趣旨の文章が大きく表示されていた。イラクでは戦争が激化し、「日本も自衛隊をイラクへ派遣する」という議論が国会で行われている。「日本は二度と悲惨な戦争はやらない」と誓ったはずなのに、今、それが破られようとしていた。「引揚記念館」が泣いているように旅人には思えた。
舞鶴から天橋立に向けて車を走らせる。強い雨が降り続けているので、天橋立は雨に霞んでよく見えないだろうと思った。午前11時、北近畿タンゴ鉄道「天橋立駅」に到着した。少し雨が小降りなったようだ。駅前に車を停めて、駅の案内所に行った。「この辺りに無料駐車場はありません」と受付の女性から強い調子で言われた。「天橋立はどこから見たら一番いいですか」と質問すると、「松並木を挟んで、東と西のどちらからも見ることが出来ます。どちらもケーブルカーやモノレールで山へ上ります。そこから股のぞきが出来ます」という答えが返って来た。「天橋立の股のぞき」が出来る場所が、2か所あるということを初めて知る。この先、さら旅を続けるのだからと、旅人は、対岸の山から「天橋立の股のぞき」をすることにした。
車を走らせ対岸に到着。駐車場で車を停めると、管理人がすぐにやって来た。「1台700円です」という。「えっ、700円もするの」と驚いたが、駐車するしかないので、しぶしぶ700円を払いケーブルカーの乗り場へ行った。「15分間隔で山頂まで運転しています。」と案内放送が流れていて、長い行列が出来ていた。バスツアーのお客さんたちだった。皆オレンジ色のバッチを着けている。往復640円のケーブル代を払い、列の後に並んだ。

小さなケーブルカーが下りて来て、全員乗ることが出来た。10分ほどで傘松駅に到着。細かい雨が降り続け、天橋立は霞んでいる。

観光客は、股のぞきができるというステージに立って、股のぞきに挑戦している。カメラを逆さにして股のぞきに挑戦している人もいる。「カメラを逆さにしても、写真を反対にしたら、股のぞきだと分かるかい」と友だちが笑っていた。その時、霧がすっと晴れ、天橋立の風景がはっきり見えるようになった。青い海を、白い観光船が白い尻尾を引いて走っていくのが見えた。

「わっ、きれい!」観光客たちから歓声があがった。平和で、のどかな風景だった。
「天橋立」の見学を終え、「舟屋」が並ぶ伊根町に向かって車を走らせている。「舟屋」がどこにあるのか、はっきり知らなかったのだが、「天橋立」でもらったパンフレットにそのことが紹介されていた。「舟屋」があるのは、「天橋立」のある隣町ということだ。旅人はワクワクした気分でハンドルを握っていた。「前から見たい」と思っていた風景なのだ。
細くて曲がりくねった道を走っていくと、民家が並ぶ漁港に出た。並んでいる民家が舟屋だった。道路側からはそれは分からないが、海側から見たら、家の1階が海とつながり、そこに小船が止まっているのだろう。早くその風景をみたいと車を走らせた。家並みが切れた所で、海が見え、想像していたような風景が目の前に現れた。車を空地に停めて、その風景を眺めた。洗濯物が1階の軒先に吊るしてある家もある。入り江になっているようで、海は静かだった。

全国に漁港はたくさんあるのに、こういう「舟屋」が存在するのは、この「伊根町」だけだという。海岸線ぎりぎりまで山が迫り、狭い土地で暮らす人たちの生活の知恵がこういう家を作り出したのだろう。「舟屋」は230軒もあるというから驚く。もっとたくさん漁船が止まっているかと期待していたのだが、数隻しか姿を見ることが出来なかった。漁に出ているのだろうか。
時刻は午後2時を過ぎていた。遅い昼食を伊根港の埠頭で食べることにした。1人の釣人が竿を仕舞う所だった。「釣れましたか」と聞くと、「アジか少し釣れたけど、風がだんだん強くなって来たので止める所だよ」とその親父さんは言った。先ほどまではなかった強い風が吹き始めていた。コンビニで買ったおにぎりを食べ、ポットから温くなったお湯を注ぎ、味噌汁を作って飲んだ。ケチケチ旅行がかなり染み付いてきたようだ。
風はさらに強くなり、海には白波が立ち始めた。荒れる日本海という風景になりつつある。沖の方から漁船が帰って来た。たくさんの釣り客が乗っている。野次馬心が働き、のぞきに行く。大きなクーラーボックスが持って釣り客たちが下りて来た。釣り仲間で来た人や、夫婦連れもいた。夫婦連れがクーラーボックスを開けて獲物を見ている。大きなブリが1匹とその下には大きな鯛が2匹横になっていた。
「すごいですね」と声を掛けた。「ブリが釣れたのには驚いた。すごい引きだったよ」と親父さんが興奮気味に話してくれた。「これは釣り堀で釣ったのよ。ここからも見えると思うけど、あの生簀が釣り堀なの」と奥さんが言った。「でも、すごい引きだったよ」と親父さんがブリを指差していた。「私は全然だめだったけど、だめな人にはちゃんとおみやげをくれたの。この2匹は私が貰った鯛よ」奥さんが恥ずかしそうに言った。「えっ、そうですか。釣り堀は高いのでしょうね」と言うと「ええ、高いですよ。1人15000円ですから。」と驚くような値段を、親父さんが教えてくれた。釣り客たちが車に乗って帰って行く。車のナンバーは「京都・兵庫・大阪・名古屋」だった。遠くからここへやって来ているのだ。こういう商売があることを旅人は初めて知った。美しい海と舟屋の風景と魚釣り、近くには温泉もあるというから、ここは、観光客が増えそうな所だと思った。
「舟屋」のある伊根町から国道178号線を走る。丹後半島をぐるりと廻る道だ。険しい道が続く。一つ間違えば断崖から転落しそうな所もある。スピードを落として車を走らせる。しばらくすると、「速く行け」と後ろの車に追い立てられた。そんな時は、「お先にどうぞ」と道を譲りながら、旅人は慎重に運転を続けるのだった。

強風が吹き、空は曇り、時折激しい雨が吹きつけた。冬の山陰路を行くというイメージぴったりの天候になった。断崖の下に広がる黒い海は、高波を立てて唸っていた。時刻は午後4時近くになっている。そろそろ今日の宿泊地を見つけなくてはいけない。地図で調べると、「てんきてんき丹後」という道の駅が、この先にあるので、そこを宿泊地にすることに決めた。「道の駅」が一定の間隔で作られていることに感謝、感謝である。「道の駅」が各地に作られ、車の旅が気軽に出来るようになった。
「てんきてんき丹後道の駅」には、スーパーやレストランが併設され、近くには日帰り入浴が出来る温泉もあった。スーパーで夕食のおかずを買う。うどんとおにぎりと煮魚の献立にした。今夜はまともな夕食になりそうだった。
温泉に出掛けた。断崖の上にある温泉で、露天風呂からは大荒れの日本海が見える。10m近い高波が断崖に打ち寄せていた。
1日の汗を流し、気分もさっぱりした所で夕食を作った。風がこない所を見つけ、出し汁を沸かしうどんを入れた。卵入りの熱々うどんが出来上がった。強風が吹き荒れる中、いつものように薄暗い灯りの下での夕食が始まった。熱いうどんは美味しかった。おにぎりも食べ、今夜は食べ過ぎだったようだ。

酔いも回り眠気が襲ってきた。そろそろ寝床を作らなければいけない。広い駐車場はガランとして、数台しか停まっていない。国道沿いの立派な「道の駅」なのに、駐車する車が少ないのは、長距離を走る車が少ないということなのだろう。広い駐車場にポツンとした状態で、寝るというのは勇気がいるなと旅人は思った。午後9時消灯。外は依然強風が吹き荒れていた。