水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 9

山陰路の旅

11月25日(火) 大社~出雲~石見~田万川


 今日もいつもの時刻に目が覚めた。少し喉が痛い。風邪を引いたのかも知れない。心地よく寝たつもりなのだが、夜中に腹を出して寝ていたのかも知れない。今日は、出雲大社の後、石見銀山を見学することにした。

 午前7時半、朝食が運ばれて来た。鰆の焼き物、卵焼き、焼き海苔、漬物、味噌汁と上品な朝食だった。料金は1泊2食付で7000円。ビールを1本飲んだので7600円だった。値打ちな民宿だった。

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 宿を出た後、日御崎灯台に出掛けた。漁港へ出ると、ウミネコの大群が、「ニャーニャー」と鳴きながら港の上を旋回していた。あまりの数の多さに驚いた。旅人が呆然と眺めていたら、そこへ親父さんが通りかかった。「すごい数だろう。毎朝このようにして騒いでいるのだよ。鳥居の見える山があるだろう。あそこは、ウミネコの繁殖地になっているのだよ。保護されているから、何もしちゃあいけないことになっている」と親父さんは話してくれた。ウミネコで困っていることがあるようだ。

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 少し離れた所に「経島(ふみしま)-ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている」という案内板が立っていた。

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 漁港から緩やか坂道を上って行くと、白い灯台が見えて来た。40mの高さがあり、東洋一高い灯台だという。灯台の前の岩場は公園になり、遊歩道が付いていた。ずっと下の岩場には釣人の姿が見えていた。ここは、大物がねらえるポイントがあるようだ。

 日御崎を出発し、急カーブが連続する道を、出雲大社へ向かって走る。急カーブを走るのも少し慣れたようだ。急カーブの手前で減速し、カーブに入ったらアクセルを踏んで加速しながら回ると車は安定している。自動車学校の女性教官に「カーブの手前で減速するのよ。カーブの中でブレーキを踏んだら滑るわよ」ときつく叱られたことを思い出した。車の運転は、緊張の連続だ。本当は車の運転は好きではないのだ。その旅人が、車で放浪の旅に出たのだから、これはすごい冒険旅行だと思った。

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 午前9時過ぎ出雲大社に到着した。広い駐車場には、観光バスが何台も停まっている。昔、ここへ来たことがあるはずなのに、その時のことは全く記憶に残っていなかった。本殿に続く参道を歩いて行くと、大きな社の前に出た。「神楽殿」と表示があり、巨大なしめ縄が掛かっていた。神楽殿の横に人だかりがしている。見物に行くと、何と、白い花嫁姿の女性を撮影しているのだった。神楽殿でもうすぐ結婚式が始まるのだが、その記念撮影をだというのだ。カメラマンだけでなく、ライトや反射板を持った人もいて本格的な撮影だった。赤い絨毯の上の花嫁さんは、もちろん美しい女性だった。これは驚くような大金の掛かった結婚式なのだろうと思った。

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 本殿は拝殿の奥にあり、参拝客は拝殿で手を合わせる慣わしになっているようだ。旅人は、居合わせた観光客の後について行った。「この出雲大社では、4回かしわでを打つことになっています。そして、2礼します。よその神社とは少し違うかと思いますが、そうしてください。その後、願い事をしてください。縁結び、健康祈願、家内繁盛などかなえてくれる神様です。お賽銭は幾らでも結構ですが、ご縁がありますようにと5円を入れてもいいです。いつもご縁がありますようにと15円を入れてもいいです。始終ご縁がありますようにと45円を入れてもいいです。」とバスガイドが楽しそうに説明をしていた。のどかで平和な風景だった。ここへ歩いてくる途中に、「世界が平和でありますように」という大きな文字の刻まれた柱が立っていた。この空の向こうでは、激しい戦争が行われている。旅人は、「世界が早く平和になりますように」と願い、黙祷した。

 出雲大社を出発し、石見銀山(いわみぎんざん)へ向かう。特に目的があって石見銀山へ行こうと思ったのではない。何となく地図を見ていて、その名前を見つけたからだ。石見銀山は、時代劇によく登場する名前で、「毒薬」にも使われている。旅人の好奇心がそうさせたのだった。これも気ままな旅だからできるのだ。

 大田市(おおだし)に入り、「石見銀山」の道路標示を見つけた。国道9号線から脇道に入る。道路脇に「石見銀山を世界遺産に」という看板が立っていた。「えっ、世界遺産!そんなに歴史的に大切なものだったの?」と驚いていたら、今度は道路に架かる横断幕だった。大田市あげて、世界遺産登録に向けて取り組んでいるようだ。富山から遠く離れた山陰の地で、そのような運動があることを、旅人は全く知らなかったのだ。日本は広いのだと認識した。

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 午前11時、石見銀山に到着した。広い駐車場の横に、「石見銀山資料館」という建物があるので見学する。この資料館は、明治時代の郡役所を利用した建物で、表門や門長屋は江戸時代の建物であるという。入館料500円を払い、中へ入ると、歴史展示室と鉱山展示室の2部屋があった。「石見銀山は、1309年に発見され、1526年に本格的な開発が行われるようになった。江戸時代になり、徳川幕府によって支配され、人口20万人、寺院100ヶ寺を数える大盛山となった。明治時代になり、藤田組に引継がれ、銀山は1923年に閉山となった」と説明がある。この町に20万人もの人が住んでいたという説明には驚く。鉱山展示室には、銀鉱石や銀が作られる工程、当時使われていた道具などが展示されていた。石見銀山がどういうものだったのか、大まかな歴史は理解できたが、500円という入館料は高いと思った。

 江戸時代に20万人近くが住んでいたという町を歩いた。木曾の馬篭とか妻籠にあるような古い町並みが保存されているのだろうと期待して歩いたのだが、そういう町並みはあまり残っていなかった。「世界遺産登録」という取組みが行われているというのだが、何処を世界遺産として残そうというのだろう。

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 近くにある石見銀山坑道跡の見学に行った。「龍源寺間部(りゅうげんじまぶ)」という名称の坑道で、300m程の長さがあり、江戸時代に開発されたものだという。入館料400円を払い坑道に入る。人が立って歩けるほどの高さがある。薄暗い坑道を歩いて行くと、所々に、枝分かれしている細い坑道がある。人が這ってしか進めないような細さで、坑道はそのずっと奥へ続いているのだそうだ。坑道の壁には、ノミで堀った跡も残っていた。江戸時代の人たちが残したものなのだそうだ。銀鉱脈を探して掘り進んだこうした坑道が、この辺りにはたくさん残っているのだという。「世界遺産登録」というのは、この坑道を残そうという取組みだということがようやく理解できた。

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 坑道の出口に小さな土産物店がある。中を覗くと、髭を生やした青年が金細工をしていた。石見銀山にちなんで、銀細工を土産物にどうぞというのである。「ここを世界遺産にしようと取り組んでいるのですね」と聞くと、「この鉱山跡だけでなく、代官所や人々が住んだ町並みや銀を運んだ道や積出し港など、すべてを世界遺産に登録しようと取り組んでいるのです」と青年は説明してくれた。「石見銀山を世界遺産に」という取組みは、大田市やその周辺の町の「町興し」という感想を旅人は持った。「世界遺産登録」への道のりは相当に遠そうである。

 石見銀山を出発、再び国道9号線を、高速道路のような車の流れに乗って走る。少し寒気がする。風邪を引いたようなので、持っていた「富山の風邪薬」を飲む。ひどくならなければよいが・・・。

 江の川を渡る。今年の春の選抜で活躍した「江の川高校」を思い出した。ベスト4まで行ったのではなかったか。橋を渡るとJRの大きな駅があるので、そこで車を停めた。江津駅だった。駅の売店でサンドイッチと牛乳を買う。隣に観光案内所があるので覗くと、受付の親父さんが、江津市のことについて、丁寧に説明してくれた。「江の川が、中国地方では一番長い川です。江津は柿本人麻呂のゆかりの地で、歌碑も残っています。赤茶色の石州瓦の生産地で、この辺りの屋根が赤いのは、石州瓦を使っているからです」一通り説明を聞き、江津市のことが少し分かったようだ。親父さんが丁寧に説明してくれたのは、観光案内所を尋ねる人が少ないことも、理由になっているのだろうと旅人は思った。「ここから国道を少し走ると、景色のいい海岸がある」というので、そこで昼ご飯を食べることにした。そこは、「石見海浜公園」という大きな公園で、高台になっていて、展望台からは美しい海岸線が見渡せた。

 国道9号線を相変わらず高速で飛ばしている。雨も降り出し、景色をゆっくり見ながら旅をするという雰囲気は全くない。風邪薬が少し効いたようで、寒気はなくなった。

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 午後2時、風車のある道の駅「ゆうひパーク三隅」に到着した。山陰海岸にも風力発電の風車が増えていることが分かる。雨は小降りになっていた。「道の駅」の横を山陰本線が通り、列車が走って行くのが見えた。その横には美しい海岸が広がっていた。絵になる風景だった。
 
 午後3時出発、雨が止んだ。益田市に入ると、「津和野・小郡」という道路標識が見える。国道9号線はこのまま、四国山地を突き抜け、瀬戸内海沿岸へ向かっている。その途中に「津和野」があるのだ。「山陰の小京都」と呼ばれる町だ。「行ってみたい」と心が動く。しかし、海岸からかなり離れてしまうのだ。今回の旅の目的は、日本海沿岸を旅することである。目的から離れそうなので、行くのをあきらめた。市街地を抜け、再び海岸沿いの道を走り始めた。

 ガソリンスタンドを見つけ、ガソリンを入れる。メーターの針が、半分以下になるとガソリンを入れることにしていた。14~5リットル、1500円ほどだ。今日もそうだった。富山からここまで何回入れたかで、だいたいの費用が分かる。ガソリン代としては1万円を超えたところではないだろうか。交通費は安いのだった。「この近くに、道の駅はありますか」と店員に聞く。「この先に温泉付きの道の駅がありますよ。あと、30分ほどですかね」と教えてくれる。

 午後4時過ぎ、「ゆとりパークたまがわ」という大きな「道の駅」に到着した。教えてもらったのはここのようだ。レストランや売店、休憩所、広い公園や遊園地などもある。この施設も大金を投入した施設だった。日帰り温泉は、「道の駅」から少し離れた所にあるようだった。

 川に沿った公園の道を散歩した。少し寒気を感じる。また、発熱しているようだ。道の外れに、リヤカーが止まっていた。何かごちゃごちゃと荷台に積んである。青いシートや雨傘、黒いゴミ袋などが見える。ホームレスのリヤカーかなと思って通り過ぎようとしたら、野球帽をかぶった髭モジャの親父さんが、リヤカーの横でタイヤを修理していた。年の頃は旅人と同年輩のようだ。

 「リヤカーで旅しているのですか」と声を掛けた。「ああ、そうだよ。スポークが折れてしまって、それで修理しているのだよ」と親父さんは答えた。「折れたスポークを自分で修理できるとはすごい人だ」と思った。「リヤカーを引きながら全国を歩いている人がいる」と本で読んだことがあった。その人かなと思って聞いてみたが、その人ではなかった。

 「今回は、出雲大社まで行こうと思って、歩いているのさ」親父さんはあっけらかんとした顔で話した。「1日30kmから40kmくらい歩くかねえ。スポークもよく折れるし、パンクもよくあるよ。修理は気にしていないさ。寝るのは、積んでいるテントの中さ。昨日はお寺の境内を借りて留まろうと思ったのだけど、『禁葷酒山門に入らず』と和尚に言われてね。臭い者は泊められないと言うのだ。仏門に仕える者が言う言葉かね。『悪人こそ救われると言ったのは誰か、和尚は知らないのか』と怒鳴りつけてやった」親父さんは腹立たしい顔だった。「身なりはぼろぼろで、ホームレスみたいだが、学のある人だ」と旅人は思った。

 「リヤカーを引きながら四国でお遍路をやったけれど、その時に車椅子でお遍路している人に会ったよ。奥さんが車椅子を押していた。世の中にはすごい人がいるよ」と親父さんは言った。「そういう貴方もすごい人ですよ。よくもまあ、リヤカーを引きながら旅ができますね。事故に遭わないですか」と言うと、「車がちゃんと避けて行ってくれるよ」と笑っていた。「今晩はここでテントを張って寝るよ」と親父さんは言うと、再びスポークを修理し始めた。「いい旅を続けてください」と励まし、旅人は親父さんと別れた。世の中には、本当に驚く人がいるものだ。

 「道の駅」の売店で、夕食の材料を買う。うどんと魚の煮付けとおにぎりが今晩の献立だ。ビールを飲みながら、熱いうどんを食べた。近くに日帰り温泉があるのだが、体調のことを考え、行くのを止めた。時刻はまだ午後7時だが、「富山の風邪薬」を飲んで寝袋に潜り込んだ。いよいよ山口県入りだ。明日は萩へ行こう。




[ 2012/12/05 06:01 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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