水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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初冬の北陸路・山陰路 放浪の旅 10

山陰路の旅

11月26日(水) 田万川~津和野~萩~長門


 午前5時、すっきりした気分で目が覚めた。薬が効いたようだ。「道の駅」はまだ暗い。薄明かりの中にトラックや自動車がたくさん停まっているのが見える。この「道の駅」も繁盛しているようだ。

 辺りが明るくなったので、早朝の散歩に出掛けた。公園の外れに青いテントが張ってある。リヤカーの親父さんはまだ寝ているようだ。トイレを済ませて車へ戻ろうとして、「富山」ナンバーの軽自動車を見つけた。久しぶりに見る「富山」ナンバーの車だ。坊主頭の若者が運転席に座っていた。同郷意識が働き、「おはようございます」と若者に声を掛けた。

 「富山から来たのですね。私も富山から来たので、声を掛けました。自動車で旅をしているのですか。」と若者に聞いた。「ええ。貴方も私と同じように旅をしているようですね。富山ナンバーの軽自動車が停まっていることを私も気付いていました。私も声を掛けようかなと思っていたのです。」と若者から同じような質問が返って来た。「絵を描きながら、九州まで旅をしています。私の旅はもう少しで終わります。」と旅人は答えた。

 「私は、百名山総登頂を目指して旅をしています。今までに90の山に登りました。あと九州の山が残っています。今から九州に向かう所です」と若者は言った。「百名山総登頂」とは、素晴らしい目標を持って旅していることに旅人は感心した。「北海道の利尻岳にも登りましたね。素晴らしい山でしたか」と利尻岳を見たことのある旅人は尋ねた。「はい、登りました。海からずっと歩いて行きました。大変きつい山でしたが、高山植物の草花が美しかったです。」と答えが返って来た。

 若者は旅に出て、4ヶ月が過ぎたということだった。4ヶ月で90の山へ登ったというのだから、すごいペースで登山をしているのだ。「素晴らしいですね。がんばって総登頂を達成してください。」と激励し、若者と別れた。旅人は、若者からエネルギーを貰ったようだった。

 定番のうどん定食を作り、公園のベンチで食べた。通学する中学生たちが、食事する旅人をジロジロ見て行く。ホームレスの変な親父が食事をしていると思っているのだろうか。その先では、リヤカーの親父さんがテントの中で寝ている。この辺りも都会並の風景になったようだ。

 午前8時、萩に向かって出発した。しばらく走ると、道路標識に「津和野」という文字が見える。昨日、「津和野行」をあきらめたはずだったのに、「ここからも津和野へ行けるのか。行ってみようか」という気持ちになった。「行き当たりばったり旅だから、行こう」と車を脇道に入れ、旅人は「津和野」へ向かって走り始めた。

 しばらくは広い道路を走っていたのだか、やがてその道路はだんだん細くなり、ついには対面通行ができない山道になってしまった。「津和野」という道路標識を目印に走って来たのだから、どこかで道路標識を見落としてしまったのだろう。「素直に萩へ向かっていればよかったのに」と後悔するが、どうしようもできない。旅人は、泣きたいような気持ちになりながら、細い山道をどんどん山奥へ向かって走って行った。

 前方が少し開け、家の屋根が見えた。「ああよかった。行き止まりじゃなかったのだ」安心して、緊張していた肩の力がすっと抜けた。小さな部落に出たのだ。「すいません。道に迷ってしまいました。津和野へ行くにはどうしたらいいでしょうか」旅人は、人の気配がする家の玄関を開けて、大声で叫んでいた。

 奥の部屋から、太った親父さんが現れた。「津和野だって。どこから来たのかい」と親父さんが言った。「田万川から走ってきました。道を間違えたのでしょうか」と旅人は答えた。「道は間違ってはいないとは思うけど、少し遠回りをしているようだね。この先に小学校があるから、そこを通り過ぎたら左に曲がるといいよ。津和野という道路標識が出ているから、それを見て走っていけば30分くらいで着くかな」と親父さんは親切に教えてくれた。「地獄で仏に会う」とは、こういうことを言うのかも知れないと旅人は思った。

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 なまこ壁や白壁の古い町並みが続く「津和野」の街中を歩いている。こういう風景を「小京都」というのだそうだ。家の横を流れる用水には、まるまると太った錦鯉が泳いでいる。小さな子どもがその鯉に餌をやっていた。白壁の家老屋敷の前を、団体客がぞろぞろ歩いていた。マイクを肩にかけた女性が話している。聞きなれない言葉だった。よく考えたら、日本語ではなかった。韓国語のようだ。この人たちは韓国からの団体さんなのだ。 

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 少し歩くと大きな橋があった。橋の向こうには「森鴎外記念館」があるという。旅人はそこへは行かず、「津和野駅」へ向かって、川沿いの道を下ることにした。紅葉が真っ盛りで、山が赤や黄色に染まっていた。ふと足を止めた。川の中州にある岩の上に鳥が止まっている。鮮やかな青である。カワセミだった。流れる水面をじっと見ている。獲物をねらっているのだろう。「小京都」と呼ばれる「津和野」にぴったりの風景だと思った。

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 「津和野駅」の向いに「安野光雅美術館」があった。「安野光雅」の名前はNHKFMラジオの「日曜喫茶室」でいつも耳にしている名前だ。隣町の図書館にも彼の画集が置いてあり、借りたことが何度かあった。「津和野」へ行きたいと思ったのも、彼の美術館があるということが理由の一つになっていた。美術館は立派な建物だった。漆喰の白壁と赤茶色の石見瓦を葺いた酒蔵を感じさせる和風の美術館である。個人の美術館だから、「安野光雅」はこれだけの財を成す仕事をして来たということなのだろう。
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 入館料600円を払って中へ入る。「安野光雅」は絵本作家ということで、絵本になった作品が展示されている。細かい所まで神経が行き渡っている絵が並んでいる。1枚仕上げるのにかなり時間の掛かった作品だということが伝わってくる。スペインを旅行した時の絵が並んでいる。鉛筆や筆の勢いが伝わるさらりと描いたスケッチもある。特別展示室に「絵本平家物語」の原画が展示してあった。布に水彩絵の具で描かれてある。「安野光雅」という人の「発想の豊かさ」を感じさせる作品だった。いつもラジオから聞こえて来る優しい声の持ち主の作品を、間近に見ることが出来、旅人は大満足だった。

 「津和野」を後にして、萩へ向かって車を走らせた。阿東町という町の表示があり、赤茶色の屋根が並ぶ小さな部落がある。以前、茅葺屋根だった家も何軒か見える。景色がいいので車を停め昼食にした。弁当を食べていたら、おじいさんが近づいて来た。

 「だれが車を止めているのかと思って見に来たよ」とおじいさんは言った。「車で旅をしているのです。富山から来ました」と答えると「富山は行ったことがあるよ。立山が美しかったね。温泉にも入ったよ」とおじいさんは嬉しそうに言った。「この辺りは、雪は少ないからいいでしようね。生活も楽ですか」と旅人が言うと「いや、それがいろいろあって大変なんだよ。米を作っても金にならんし、固定資産税は払わないかんし、生活は火の車さ」とおじいさんは仕方ないという顔で言った。「おじいさんは山もたくさん持っているみたいですね」と旅人が言うと、「あの葉っぱの色が変わっている所は、私の山さ。私もあんたみたいにのんびり旅行でもしたいよ。しかし、よぼよぼになったから、そんなに遠くまでは行けないがね」とおじいさんは笑っていた。

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 午後1時過ぎ、萩にある「松蔭神社」に到着した。駐車場は車で埋まっていた。たくさんの観光客が見学に来ているようだ。「松蔭神社」の境内には、吉田松蔭が弟子たちを教えた「松下村塾」がある。観光客に着いて歩いて行った。「松下村塾」は小さな建物だった。この小さな建物の中から、明治維新の胎動が始まったという話が、本当に不思議に思える。どこにでもありそうな小さな家なのだ。ここで、弟子たちを教えた吉田松蔭という人物が、偉大な人物だったということなのだ。

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 萩の城下町を散策した。白い土塀に囲まれた家並みが並ぶ細い路地を歩いて行く。ぞろぞろと団体さんも歩いている。どこかで会ったような団体さんだ。慣れない言葉が聞こえて来た。「津和野」であった韓国から来た団体さんだった。「津和野」から「萩」、この後、彼等は「秋吉台」へ向かうのだろうか。城下町には「高杉晋作誕生地」「木戸孝允旧宅」なども残り、江戸時代に迷い込んだ感じのする場所もあった。時代劇の撮影も行われているのかも知れないと思った。
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 萩城跡も見学する。お城は明治に入ってなくなり、今は石垣とお堀が残っているだけだ。それでも見学するにはお金がいるようだ。石垣がお堀にった風景をスケッチしていたら、1匹の野良猫が足元にやって来て、水入れの水を飲もうとしているのだ。「それは、絵の具が溶けているから、飲んだらいかんよ」と言ったのだが、猫には旅人の言葉が伝わらなかったようで、とうとうその水を飲んでしまった。しばらくしたら、妙な顔をして旅人をにらみつけるのだった。やっぱり絵の具の混じった水は、猫にも美味しくないようだ。

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 萩焼きの茶碗がいっぱい並ぶ店があるので覗いた。萩焼きは、表面に細かいひび割れが付いているのが特徴だ。茶碗や湯のみ等が並ぶ。どれもいい値段が付いている。もちろん、ケチケチ旅行をしている旅人は買うつもりはない。旅人のケチは今始まった訳ではない。親父さんと上さんと萩を旅した時に、「萩の土産に茶碗を買おう」ということになり、窯元の店に入ったのだ。どれもびっくりするような値段が付いていて、「高いから止めよう」と旅人は思ったのだが、上さんは、「せっかくここまで来たのだから、記念になるコーヒー茶碗を買います」とあっさり言って、5000円もする高いコーヒー茶碗を、1つでよいものを、5つも買ったという思い出がある。もちろん、今も、その中の幾つかは残っていて、それを見ると「萩を旅行したこと」を思い出すのだ。「買うなら、高級品を」が上さんで、「買うなら、1円でも安い物を」は旅人である。「安物買いの銭失い」は、今も旅人に付きのまとっているのである。

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 その旅人が、何と高級ホテルに宿泊しているのだ。ここは、山口県豊北町にある「ホテル西長門リゾート」という美しい海岸が見える超高級ホテルの1室なのだ。萩から海岸沿いの道路を走っていたのだが、辺りは暗くなるし、雨も降り出して来たのだ。そろそろ宿泊地を見つけなければということになった。道路標識には「下関」という文字が見えるようになり、あと30kmも走れば下関に到着するというのだ。その時になって、今日が北陸路・山陰路の最後の日ということに気付いたのだ。それで、旅館を見つけて泊ろうという気になり、たまたまホテルの看板を見つけて、飛び込んだのが、ここだったということなのだ。もちろんケチな旅人は引き返そうかと迷ったのだが、こういう体験が、この旅にあってもいいのではないかと思い、宿泊を決心したのだ。1泊朝食付きで11000円であった。

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 通された部屋は少しタバコの臭いが漂っていた。すぐにフロントに電話をし、禁煙の部屋へ変えてもらった。こういう無理も、ここでは常識として通るのが面白い。和室の広い部屋は、15畳ほどもある。ここに今日は1人で泊るのだ。パノラマになった窓からは、美しい海岸や向かいの島へ通じる白いアーチ型の橋が見えている。ホテルの庭園は、海岸に沿ってずっと広がり、芝生が植わり、プールまであるのだ。贅沢を尽くしたという感じのホテルなのだ。11000円というのは安いのかも知れない。

 ホテルのレストランで夕食を食べた。メニューを見ても、手ごろな値段の料理はもちろん並んでいない。その中で最低の5000円コース料理を注文した。それにビールも合わせて・・・。続々料理が運ばれて来た。もちろん今回の旅の中では決して食べたことのない豪華な料理のオンパレードだった。「ナマコの酢の物」「鯛とメジマグロの刺身」「太刀魚の焼きもの」「ホタテの焼き物」「カワハギの魚すき」「カニと銀杏とアワビの茶碗蒸」「車海老の天ぷら」「茶ソバ」「ウニのまぜごはん」「鯛の味噌汁」それにデザートの「アイスクリーム」。旅人が、どの程度料理を食べたかについては、想像にお任せするが、部屋へ重い体を引きずって帰ったことは間違いのない事実である。旅の最後の夜は、豪華に過ぎて行ったのである。




[ 2012/12/06 05:25 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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