水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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青春18きっぷで巡る山陰・四国の旅 1

第一日目        高蔵寺~豊岡

 冬休みが始まり、やっと旅行に出掛ける条件が整った・・・とは言っても、今回は行く先がなかなか決まらずにいた。いつものように街道歩きに行けばよいのに、なんだか歩きに行く気持ちになれない。それがなぜなのか自分にも分からない。

 十二月二十四日(金)は出勤し、冬休みの大事な宿題になっている中学受験をする子どもたちの調査書を書き上げた。いよいよ明日から正月までは全くフリーなのに、まだ行き先が決まらなくてぐずぐずしていた。「今度はどこへ出掛けるのかね」と、出勤していた校長にも聞かれたが、「全く自分にも分からないんですよ。日にちだけははっきりしているので、旅行届は出しますが、行き先は未定で許可してください。連絡の方は携帯電話の番号を載せておきます」と申し出て、何とか許可だけはもらった。

 家に帰ってからも、明日からの旅行の目的地が見つからずにいた。いっそのこと今回は歩くことは止めて、青春十八切符を使った鉄道旅行をしてみたらおもしろいのではないかという思いが強くなった。今まで時々時刻表を眺めて、いろいろコースを考えることはしていたので、青春十八切符が使える冬休みに、それを実行してみようということで、やっと決断がついた。さっそく時刻表を開いて、コースを考えた。鈍行列車に乗って北海道まで行ったらどうだろうかとか、本州を一周したらどうだろうかとか、九州まで行って帰ってきたらどうだろうかとか、結構実現可能なおもしろいコースがある。しかし、まだ行き先は決まらずに、二十五日を迎えた。

 いよいよ今日から出発できるというのに、未だに行き先は決まらず、おまけに、咽が痛くて少し熱もあるようなので、出発を一日遅らせることにした。その日は、再び時刻表を開いて、出掛けるコースをいろいろ考えたが、時間だけが過ぎていくだけで、やはりはっきりした目的地は夕方になっても決まらなかった。大晦日が近づいているので、自分の部屋の掃除を始めることにした。壁に飾ってある写真も少し模様替えをしなくてはと思い整理を始めた。その時、ふと、今年の夏に行きたいと思っていた兵庫県の餘部鉄橋のことが頭に浮かんできた。「餘部鉄橋を写真に撮りに行こう!」今回の旅はその瞬間から始まった。

 二十六日(日)午前七時三分高森台西発高蔵寺駅行きのバスに乗車。車内は数人の乗客がいるのみ。七時十二分、高蔵寺駅着。切符売り場で青春十八切符を購入。値段は一万千五百円。旅行好きな人にとったら実に有効で割安な切符である。改札口で検印を受ける。七時十九分発名古屋行の普通列車に乗車。今日は日曜日なので車内は閑散としている。

 七時四三分金山着。ここで、八時ちょうど発の米原行特別快速列車に乗りかえる。駅の案内放送が豊橋駅構内で列車故障があり、その前の大垣行新快速列車が十五分近く遅れて来るとのアナウンスを繰り返している。特別快速列車も五分ほど遅れるらしい。この特別快速列車は、十二月のダイヤ改正で新設された列車で、これまで走っていた新快速は大府に停まるのだが、特別快速は大府を通過するのでその名前が付いたようだ。

 八時七分、六両編成の米原行特別快速列車が七分遅れで到着。車内は半分くらい座席が埋まっていたが、私の座席は確保できた。名古屋を過ぎ、岐阜の手前で、この列車の前より二両が大垣で切り離される放送が入った。私は前から四両目に乗っていたので、切り離されずに済んだが、突然の放送に続々と前の車両から座席を求めて移動する人が通り過ぎていく。金山でも名古屋駅でもそのような放送を聞かなかったのだが、きっとこの人たちも驚いているに違いないと思った。車内は何時の間にか満席になっていた。大垣ではたくさんの人が乗り込んできて、車内は超満員になった。この列車はこの大垣から先は各駅停車で米原まで行く。

 米原から先、どうするのかまだ決めかねていた。東海道線で京都へ出て、山陰線に乗り換え、餘部に向う経路と、米原から北陸線で敦賀に向い、敦賀で小浜線に乗り換えて、若狭湾沿いを巡り、餘部に向う経路である。京都周りで行っても到着時刻は四時近くになってしまい、日没の早い今の時期は写真を写せそうもないので、敦賀経由で日本海の景色を見ながら進む経路にした。途中、長浜で列車の待ち時間が1時間半近くあり、長浜の町も少し見学できることが分かった。

 九時十八分米原到着.九時二六分発長浜行に乗りかえる.快速列車が入って来た。JR西日本を走る快速列車はクリーム色をしていて、車内のシートは二人掛けが多い。連結している車両数も十両を超えていて、少し辛抱すれば座ることができる。それに比べるとJR東海を走る快速列車は四人掛けのシートが多く、連結している車両も三両とか四両と短いのが特徴である。利用者が少ないので仕方がないのであろうが、私はJR西日本を走る快速列車が好きである。列車は定刻通り発車した。窓の外には雪を被った美しい山々の景色が広がっていた。

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 九時三六分長浜に到着。この町は豊臣秀吉が築いた町で、歴史的にも古い建物がいくつか残っている。

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 さっそく秋に歩いた北国街道の古い町並みを見に行く。古い町並みの保存が進み、今はそこが観光のメーンになっている。有名なのが舟板べいとよばれる舟の板を使って作ってある旧家の壁である。夏に撮った写真は迫力がなくもう一度撮り直したいと思っていた場所である。天気こそよくなかったが、しっかりファインダーを覗いてシャッターを切った。
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 続いて、長浜城を見に行く。琵琶湖のほとりに堂々と建つ城はなかなか壮観である。惜しむなく残念なのは、この城が昭和五八年に再建されたものであることだ。城の周りには桜が植えられ桜の名所になっている。

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 北風の吹く琵琶湖の湖面にはカモがたくさん群れていた。さすがに秋に見たウインドサーフィンやルアーフィシィングを楽しむ若者の姿は見なかった。しかし、駅を降りた時に、つり竿を持った若者を数人見かけたので、きっとこの寒い湖水のどこかで釣りを楽しんでいるのではないだろうか。

 急ぎ足で二箇所を見学し、長浜駅に戻る。時間が二十分近くあるので、駅前の喫茶店に入りコーヒーを飲む。秋に訪れた時は、祭りの当日だったこともあり、長浜の町中は押すな押すなの人で賑わっていた。今日は、新しい年を迎える準備こそ始まっていたが、観光客はほとんど見ることができなかった。

 十一時五分発の敦賀行二両編成の普通列車に乗車。ブルートレインを改造したような列車で、座席の頭上には、寝台が折りたたまれて吊られているような感じがした。なかなか趣のある列車である。敦賀に近づくに連れて雪が深くなり、道はすっかり雪に埋まっていた。この数日間、かなり雪が降り続いたようである。十一時四九分、敦賀に到着した。
 
次に乗車する小浜線東舞鶴行は十二時四一分発である。約一時間の余裕があるので、駅前商店街で食事にすることにした。みぞれが降り続き、道は雪が溶けてぐちゃぐちゃになっていた。おでんの暖簾が下がる食堂に入る。ビールとおでんを注文する。大根と油揚げは薄味で美味しかった。北陸と言えば、この時期カニであるが、みやげ物店ではズワイガニを売っていたので、覗いてみた。何と一匹八千円の値段がついたカニがある。庶民にはなかなか食べられそうもない値段のカニばかりが並んでいた。

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 駅の売店でつまみの竹輪とカップ酒を買って、東舞鶴行普通列車に乗車した。青色に白い線が入った2両編成の列車である。車内は結構混んでいた。私の座席は日本海の見える右側にした。景色がよい所は写真を撮るつもりでいる。定刻の十二時四一分に列車は出発した。遠くに白い山を望みながら雪が積もった田んぼの中を列車は進んで行く。雪国ならどこにでもある風景なのだろうが、太平洋側に住む私にとっては新鮮でとても美しい風景である。しばらく走ると冬の日本海が見えてきた。雲が深く垂れ込めて、海は色を失い灰色に見える。冬の日本海はほとんどこんな色をしているのだろう。ふと、となりの座席を見ると、私と同年輩の男性がカメラを構えてシャッターを切っていた。私と同じように冬の日本海を撮りにやってきのだろうか。私もその男性に負けじとシャツターを切った。

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 沿線に大きな看板が立っている。小浜線電化早期実現と書いてある。小浜線を電化しようという計画なのだろうが、たった二両でもあまり客が乗っていない列車を電化するよりも、開発行政の中では、この線路が廃線にされてしまう危険もあるのではないかと思った。
 
 二時三二分列車は東舞鶴駅に到着した。途中日本海を眺めながら飲んだカップ酒も美味しかった。途中で撮った写真の中には何枚かいいのがあることを期待しながら列車を降りた。次の列車は十五時六分発の福知山行である。三十分時間があるので改札を出て、駅前をうろうろすることにした。
 
  ここでちょっと恥ずかしい大失敗をした。改札を出る前にトイレに寄ったのだが、何とこともあろうに男性用のトイレだとばかり思って入った所が実は、女性用トイレだったのである。入り口の表示もはっきりしなかったのもあるが、中にはちゃんと男性用のトイレがあったのだ。何だか小さな男性用トイレだなあとは、用を足している時には思ったのだが、実はそれは子ども用のトイレだったのだ。子ども連れで入ってきたお母さんが、男の子にそこで用を足たせるように作られているものだったのだ。私はそのことに全く気が付かずに用を足し、外に出て初めて実は今出てきたのが女性用のトイレだと気付いたのだった。幸い女性が入って来なかったのでよかったのだが、もし女性が入って来たとしたら、きっと悲鳴を上げられて大問題になっていたのではないかと、今考えてもぞっとする。何はともあれ女性用トイレに男性用のトイレが設置してあったのがいけないのである。まぎらわしいことは止めてもらいたいものだ。しかし、こういう失敗が起きた本当の原因は、ビールと酒を昼に飲んだことにある。くれぐれも昼の酒には注意しなくてはと深く反省した。
 
 東舞鶴は大きな町で、港を中心にして発展しているようだ。ここからは、北海道へフェリーも出ている。駅前をぶらつく。名古屋で言えばダイエーとかユニーにあたる大きなスーパーが一つ建っている。中に入って見たが、どこにでもあるような商品しか並んでいなかった。発車の時間か迫り、駅に急ぐ。

 十五時六分発福知山行の普通列車がホームに入って来た。ここから先は舞鶴線になり電化されている。乗車するのは、黄色と緑色で塗り分けられた電車で、東海道線をつい最近まで走っていたのと同じ型である。京都と東舞鶴を結ぶ特急列車が走っていることも、大きな看板に表示してあった。「小浜線の早期電化」という地域の願いが「なるほど」とうなづけるものであることが理解できた。ほぼ満席になった列車は発車した。

 列車は綾部で山陰線に入り、まもなく福知山である。降りる準備を始めていると、立派な城が見えた。福知山城だ。木造建築のようである。記念に写真を撮りたいと思ったが、残念ながら乗り換えの時間が短く今回はあきらめることにした。後で調べると、昭和六二年に再建されたものだということが分かった。
 
 十六時十一分発豊岡行普通列車に乗車する。もう辺りは薄暗くなりかかっている。今夜はこの列車の終点、豊岡の町で宿をとることにした。餘部鉄橋は豊岡から列車で一時間のところにある。明日早朝に豊岡を出発し餘部まで行けば念願の写真が撮れそうである。なんだか今から緊張感が漂ってくる思いがする。

 十七時二三分、すっかり暗くなった豊岡に到着。この町は人口が五万人くらいだそうだ。駅前は大きなショッピングセンターが建ち、商店街も整備されていて賑わっている感じだ。ちょっとした小都市である。通りには五センチくらい雪が積もっている。昨日までだいぶ雪が降り続いていたようである。駅前にホテルがないか見回すと大丸というビジネスホテルの看板が目に付いた。駅からすぐ近くなので建物は少し古そうだが、ここにしようと近づいて行った。一階はレストランになっていてホテルの入口が見当たらない。細くて暗い路地の奥の方が入口になっているようだ。フロントのある三階までエレベーターに乗る。「一人ですが、部屋は空いていますか」と受付の係員に言うと「風呂の設備がない部屋なら空いています」という返事が返ってきた。ここまで来て風呂がないのではと、そのホテルはあきらめた。ここから少し南側にもホテルがあるというのでそこをあたってみることにした。豊岡パークホテルという新しい建物のホテルで素泊まり六千五百円だった。もちろん風呂付きである。

 入浴を済ませた後、ホテル横の飲み屋でイカの刺身を食べながらビールを飲む。客が一人もいなくて薄暗い感じのする店だったが、イカは甘味があって美味しかった。食事を終えて、もう一軒飲み直しに行くことにした。通りをぶらぶらしながら歩く。久しぶりにカラオケでも歌ってみたくなり、スナックに入る。客は一人もいなかったが、しばらくすると五人くらいの客が入ってきて賑やかになった。地域商店街の役員の人たちだった。どうやら忘年会の後ここへやって来たようだ。私と同年輩の人がまず歌い出した。何と堀内孝雄の歌だった。音程がしっかりしていて、とても上手な歌だった。私が歌いたいのも堀内孝雄の曲なので、歌う内にその人と意気投合して、いっしょに何曲か歌った。楽しい一時を過ごし、帰りにはママさんから開店三周年の記念品まで貰いホテルに帰った。





[ 2012/12/17 08:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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