第3日目 大垣宿から垂井宿へ 年が開けた1月4日に再び大垣を訪れた。天候は残念ながら小雨が少し降っていたが,今回はこの大垣から垂井までの美濃路の残り約11kmを歩き切るつもりでやって来た。
まずは大垣駅前から少し東に行ったところに,水門川遊歩道が作られているので,それに沿って住吉橋まで行くことにした。天候が悪いためか遊歩道を歩いている人はいなかったが,水門川の遊歩道はとてもよく整備されていて,所々に休憩所やいろいろな像や案内板が設置されていた。大垣市は「水と歴史の街」として熱心に整備しているようだ。
八幡神社前を通る。正月ということで初詣にこの神社へ参拝する人が多いようだ。屋台の店も10軒近く並んでいた。天気はあまりよくなかったが,初詣に訪れる人をたくさん見た。
水門川には水鳥が何羽も羽を休めていた。水鳥を見ながらの散策はなかなか趣がある。遊歩道を20分近く歩いて,住吉燈台前に着いた。ここはかって大垣の港があった所で,旧い燈台が残されている。また、松尾芭蕉が奥の細道を歩いてこの地で旅を終わりにしたということで,記念の像も残されていた。大垣市内には芭蕉の句碑も多く残されている。川の両岸には桜の木がたくさん植えられていた。きっと春には素晴らしい花見の場所になるのではないだろうか。

住吉橋から美濃路を歩き始める。道はかなり拡張されていて4車線になり,歩道もきちんと付いていて歩き易い。しかも,道路沿いには旧い建物が並び,以前ここが街道であったことを証明していた。立派な旧家もたくさん残っているようだ。旧い作り酒屋もあった。 塩田橋の所から旧道に入る。杭瀬川を渡ると橋の袂に塩田の常夜燈があった。この常夜燈は杭瀬川の上流にある赤坂港からこの塩田港へ入る船の安全を願って作られたとのことであった。当時の歴史を伝える資料として残されていた。常夜燈の横に梅の木がかわいい白い花を付けていた。今年は暖冬というが,正月にもう梅が咲いているのには驚いた。
旧道を歩いて行くと,10分程で久徳町の一里塚に着いた。美濃路を歩いて来て,冨田に一里塚が残っていたが,ここにも旧い一里塚が残されていた。太い榎木が立派だった。
再び旧道は県道に吸収されてしまった。広い歩道を歩いて行く。大谷川を渡ったところで道は県道と別れ,再び旧道になる。旧い町並みの残る長松町である。二つの道標が並んで立っていた。一つは「大垣・岐阜 垂井・京都」を指し示している。もう一つは「従是 南宮社江近道」を示していた。

再び美濃路は県道と合流し,しばらく行った所で県道と別れ 垂井の宿へ向かう。この道も旧道の名残を残していた。しかし,車が頻繁に行き交い,白い路側帯の内側を歩くのは少し辛い。綾戸の一里塚跡を過ぎ,JR東海道線を渡った所から松並木が見え始めた。美濃路に唯一残る松並木である。松の幹にはむしろが巻かれていた。追分までの間にずっと松並木が残り,垂井町も力を入れて保存に取り組んでいるようだ。松は全部で47本あるとのことだった。道には広い歩道が付き,歩き易い。大垣を出発して約2時間で追分に着く。ここは中山道と美濃路との分岐点である。やっとのことで美濃路を歩き切ることができ,気分は爽快であった。昔の旅人もやはり,2日と少しかかって東海道熱田の宮からこの垂井まで歩いていたと,本に書かれていたことを思い出した。私も実質的には2日と少しで美濃路を歩き切った。まだまだ私の体力も大丈夫のようである。
追分から川を挟んで向い側が垂井宿の入口,相川橋である。相川の流れの上流には養老の山々が見えていた。ここから美濃路は中山道となり幾つもの山を越えて京都につながっている。一昨年の夏にこの地を京都から歩いて来たことを思い出した。この橋の少し上流には4月になると鯉のぼりが川を横切ってたくさん吊り下げらけれるとのことだった。今度はその鯉のぼりが川の上を元気よく泳いでいる姿を見に来ようと思った。