はじめに
季節は立春を過ぎたというのに、連日雪が降り続き、旅人の住む細入村はすっかり雪に覆われてしまった。毎朝の除雪作業が日課のようになっている。今年は例年にも増して、雪が多いようだ。
年末に出掛けた「山陰の旅」の整理も終わり、またふらりと旅に出掛けたい気分なのだが、なかなか目的地が決まらない。「どこかへ出掛けたら」と上さんも言うのだが、ぐずぐずしていて、時間だけが過ぎて行く。
気ままな旅行に出掛けられる旅人のことを、周りの人は皆口を揃えて「うらやましい生活をしているものだ。自分もあんたのように旅に出掛けられたらどんなにいいか」というのだが、旅人には、人から見れば気楽な旅もけっして楽なものではないのだ。帰ってから、旅のまとめを、旅日記という形で整理するのだが、それがかなりしんどい作業なのだ。それをやめたら、本当に楽なのだろうが、それをやめる訳にはいかない理由が旅人にはある。「やがてはこれで飯が食えるようになりたい」という目標があるのだ。それが文章なのか、絵なのか、それとも旅のアドバイザーなのか、まだ其処のところははっきりしていないのだが・・・。だから、気ままな旅も、今は一文にもならないが、旅人は仕事と位置付けて出掛けているのだ。
「貴方が教員を辞めて、もう3年が過ぎたのよ。やはり難しいのじゃないの。そろそろあきらめたらどうなの」と上さんは、旅人にはっきり云うのだが、旅人は、「きっとその内にどれかで花開く」とあきらめていないのだ。「この間の山陰の旅日記は少し手応えがあったし、絵の方も大分上達したと思っているし、結論は60才ごろに出るのじゃないのか」とのんびり構えている。「よくも、それで暮らしていけるね」と不思議に思う人も多いが、それは上さんが働いて支えているのだ。だから、旅人は必死に頑張らなくてはいけないのだが、プレッシャーを感じるほどに頑張っているのかというと、どうもそうではないところが、上さんには歯がゆく感じられるのだろう。
そんなある日、タモリの「笑っていいとも」に、加藤登紀子さんがゲストに出ていた。「昨日は、川辺川ダムに反対する集会に出ていたの。五木村という小さな村だけど、景色が美しいの。五木の子守唄で有名な所よ。何であんな美しい所にダムを作るのかしらね。全国でダムの見直しが始まっているのに、今からダムを作るというのよ」加藤登紀子さんは、目をキラキラ輝かせて、川辺川ダムは要らないと訴えていた。この番組が終わるころには、旅人は「九州」へ行こうという気持ちになっていた。しばらくして、旅人は乗り慣れた軽自動車に荷物を積み込み、九州へ旅立つ準備を始めた。今回は、「期間限定九州放浪の旅」ということになりそうだ。
夕方、仕事から帰った上さんが、荷物の山を見て、「やっと出掛ける気になったようね。また、旅日記楽しみにしているから」とにこにこしていた。宿六がいなくなることがどうも嬉しいらしい。