水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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春間近な九州路 放浪の旅 6

2月14日(土)唐津(佐賀)~呼子(佐賀)

 唐津から北へ向かって車を走らせることにした。佐賀に「呼子」という港があることを思い出したのだ。壱岐・対馬へ行った時に、呼子という港からもフェリーが来ていたのだ。唐津からすぐ近くにある町なので、ただそこへ行って見ようかということなのだが・・・。

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 しばらく走ったところで思いがけない道路標識を見つけた。「名護屋城」という標識である。旅人の知っている「名古屋城」とは漢字は少し異なるが、「なごじょう」と読めるのだ。どうして佐賀県に名護屋城があるのか、不思議な気分になっていた。再び「名護屋城」という標識を見つけた。ここから近くにあるようだ。とにかく行ってみることにした。どんな結果が待ち受けているのだろうか。

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 大きな道の駅が見えてきた。「桃山天下市」という看板が立っている。安土桃山を連想する名前だ。名護屋城跡はこの道の駅のすぐ近くにあった。何と、名護屋城は、今から約400年前、朝鮮半島侵略をもくろんだ豊臣秀吉がこの地に築いた城のことだった。名古屋中村に生まれた秀吉が築いた城だから名護屋城と名付けたのだろう。江戸幕府が出来てからすぐに、廃城になり、解体されてしまったそうだ。今は、その城跡が残っているのだ。
豊臣秀吉の朝鮮侵略については、旅人が教員をしていた時には、子どもたちに教えていた。しかし、出兵した場所がこの佐賀県鎮西町からであり、そこに名護屋城という城を作って陣を張り、現在、そこが国の史跡として保存されていることを全く知らない旅人だった。乏しい知識しか持たない旅人に教えられた子どもたちは、かわいそうなことであった。

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 遠くの山の上に城跡が見える。その城の周りには諸大名の陣跡も残っているというので、見学することにした。散策コースの道標に従って歩いて行く。城の周りは冬枯れした田んぼが広がるのどかな田園であった。のんびり歩きたいのだが、あまりにも強い風が吹いていて、そんな気分にはなれない。旅人は風に逆らってあえぎながら坂道を上って行った。最初に行ったのは「前田利家陣跡」である。富山には馴染みの武将である。「何か建物でも残っているのでは」と期待していたのだが、「陣跡」という標識と、場所を示す地図があるだけで跡らしきものは何もなかった。続いて「古田織部陣跡」「木下延俊陣跡」「堀秀冶陣跡」などを見て行ったが、薄学の旅人には、ただ、田んぼと小高い丘を見ただけという感想しか残らなかった。この辺りには「福島正則」「加藤清正」「徳川家康」など戦国の諸大名たちの陣跡も残っているという。興味のある人は「すごい、すごい」と見て歩くのだろう。
陣跡を一周して、最終見学地の名護屋城跡に到着したのだが、ここで旅人を感動させることが幾つも起こるのである。

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 その一つが、名護屋城の規模だった。名護屋城はとてつもなく巨大な城だった。小高い丘の上に向かって、朽ちた石垣が幾重にも重なり、城がいかに大きかったかということを物語っていた。丘陵の途中にある見晴らしが利く所は、その昔、「三の丸」や「二の丸」があった所だという。そして丘を上り詰めた頂上が、本丸のあった所だった。天守閣はその頂きの断崖の所に建っていたという。眼下には鎮西町の町並みが広がり、その向こうには荒々しい玄海灘が見えていた。素晴らしい景色の所に天守閣が聳えていたのだ。その昔、秀吉は遥か朝鮮を睨んで、この景色を眺めていたのだろう。

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 とにかく大きな城だった。築城当時は大阪城に次ぐ大きさの城だったという。しかも、築城開始から半年あまりで作ってしまったというのである。大阪から諸大名を引き連れ、遠く離れた九州の地にやって来て、ここに巨大な城をあっという間に築かせた秀吉という人間が、いかに大きな権力と財力を持っていたか、認識を新たにした旅人だった。

 もう一つ感動する出来事があった。名護屋城跡の見学を終えた旅人が、遊歩道を下ると受付のような建物の前へ出た。その建物は、名護屋城跡観光案内所だった。「清掃協力費として100円を戴いております」という案内が出ていた。清掃協力費とはなかなかおもしろいアイデアだと旅人は思った。これだけの史跡を保存していくのには、相当の費用が掛かりそうである。そこで、観光客に清掃協力費を訴えるというアイデアはなかなか面白い。入場料や拝観料を取るというのが一般的だか、清掃協力費という発想はどこから出たのであろうか。佐賀県人のユニークな所を知った旅人だった。

 観光案内所の近くに巨大で立派な建物が建っていた。名護屋城跡に来た時からずっと気になっていた建物だ。それは佐賀県立名護屋城博物館だった。「入場料は高いだろうが、ここへ来た記念に見学していこう」と、旅人は受付へ行ったのだ。ところが、である。「入場料はいりません。どうぞ自由に見学していってください」と受付の女性が言うのだ。「えっ、無料ですか」と聞き直したのだが、女性は、にっこり笑って頷いていた。

 博物館の常設展は、4部構成で作られていた。第1部が「名護屋城以前」、第2部が「歴史の中の名護屋城」、第3部が「名護屋城以後」、第4部が「特別史跡名護屋城跡並びに陣跡」である。歴史的な資料が豊富で、見飽きない。特に目を引いたのが、屏風絵だった。肥前名護屋城図屏風には巨大な城の全景が詳しく描かれていた。本当に立派な城だったようだ。文禄の役「釜山鎮殉範図」、慶長の役「朝鮮軍陣図屏風」は、激しい戦闘の様子が描かれていた。ビデオによる案内もある。韓国からの観光客もたくさん来るのだろう。ハングル文字の表記もある。日本と朝鮮半島との友好を進めることが、博物館の大きなテーマになっているようだった。

 特別展示室では、佐賀の陶芸作家の個展も開かれていた。唐津焼のみごとな皿や壷、茶碗が並んでいる。渋い茶色の肌をした大きな壷は、作家の巧みな技で出来上がったものだった。人間国宝の中里夢庵氏の茶碗も並んでいた。どの作品も、派手な色はなく、落ち着いた色の作品だった。模様の美しさを味わうのが唐津焼だということが伝わって来た。

 博物館では、名護屋城に関わるたくさんのことを知り、唐津焼の素晴らしい作品まで見ることが出来た。「入館料は千円です」と言われても当然のような博物館だった。それが無料だったのだ。「こんな素晴らしい博物館が無料だなんて、びっくりしました」と、受付の女性に声を掛けた。「そのことに驚かれる人が多いようですが、これは佐賀県知事の考えで無料になっているのです。とにかく、皆さんに名護屋城のことを知ってほしいと知事は考えているようです」受付の女性はその理由を説明してくれた。佐賀県人のユニークな発想をここでも見たのだった。



[ 2013/01/28 08:21 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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