fc2ブログ

水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  >  ふらり きままに >  春間近な九州路 放浪の旅 8

春間近な九州路 放浪の旅 8

2月15日(日) 諫早(長崎)~雲仙普賢岳(熊本)~天草(熊本)

 午前6時起床。洗面を終え、午前7時、宿を出る。素泊まりで4千円だった。雲仙に向って出発した。途中でコンビニを見つけ、サンドイッチを購入、干拓地が見える所で、朝食にした。朝日がようやく昇り始めた。九州の日の出は遅い。これから行く雲仙の山並みが遠くに見えている。

 諫早から有明海に突き出た島原半島に向う。半島は国定公園に指定され、その中心に雲仙岳や普賢岳がある。「小浜町という所から雲仙岳の頂上へ上り、反対側の島原へ下りるといいよ」昨夜、居酒屋の親父さんから聞いた道を走っている。早朝なのに結構車が走っている。今日は日曜日で、観光客が多いようだ。

 小高い峠を越えると、有明海とは反対側にある橘湾が見えてきた。やがて眼下に美しい浜辺が広がり始めた。素晴らしい眺めである。おあつらえにも、そこに、展望台が作られている。車を停め、しばらくその眺めに見とれていた。雲一つない青空になり、真っ青な海がキラキラ光っていた。

100-0093_IMG.jpg
 
 小浜町に到着した。大きな温泉旅館が建ち並び、観光バスもあちらこちらに停まっている。浴衣着の観光客の姿も見える。旅館の屋根からは、白い湯気が立ち上り、温泉街の雰囲気が漂っていた。海岸の駐車場に車を停め、辺りを散策した。堤防に釣人がいるので声を掛けた。「早朝から釣っているのだけど、まだ獲物はありません。今日はグレを狙っているのですが、釣れますかね」と中年の親父さんは、笑いながら答えた。少し離れた所にも釣人がいたが、バケツの中に魚はいなかった。きれいな海だから、魚が釣れそうに思うのだが、魚を釣るのはなかなか難しいようだ。

 堤防の所に「海の見える露天風呂」という看板が出ている。「こんな所に露天風呂があるの?」と不思議に思いながら倉庫のような建物に近づいて行った。建物の前に小さな受付所があり、帽子を被ったおじいさんが座っている。「露天風呂へ入りに来たのかい」とおじいさんは、言った。「この堤防の向こうにある建物が露天風呂さ。入るなら300円だよ。温泉巡りというチケットもあるよ。それだと、温泉旅館の風呂にも入れるけど、どうする」とおじいさんは聞いてくる。朝風呂もいいかなと、旅人は300円を払って露天風呂の建物に入って行った。 
 
 もちろん混浴の露天風呂ではない。堤防の外に作られた露天風呂だという所が面白い。堤防の側面に大きな箱が取り付けられているという感じである。粗末な天井はあるが、窓はなく、目の前は海だった。入浴客は旅人1人である。「衛生上、石鹸やシャンプーの使用は禁止しています」と大きな張り紙が出ている。風呂の水が、そのまま海の中に出て行くのだから、石鹸やシャンプーは汚染の元になるということなのだろう。5人も入れば満員になりそうな風呂の大きさである。真っ青な海を眺めながら温泉に浸かった。透明でサラッとした感じの温泉だった。羨ましい旅をしていると思われるのも無理はない。

 観光船が、走って行くのが見える。観光船に乗っている人影が見える。ということは、向こうからも旅人の姿が見えるということである。もちろん見られて困るものは旅人にはないが、女風呂も一緒だとすると、女性がこの露天風呂へ入るには、かなり勇気がいるのではないかと思った。いや、見られて困るような若い女性は絶対に入らないだろう・・・。

 露天風呂から上がり、外へ出た。「なかなかいい風呂でした」と受付のおじいさんに言うと、「昨日は、強い風が吹いて、露天風呂は波飛沫を被っていたよ」とおじいさんは笑っていた。そこへドカドカと団体客がやって来た。今から露天風呂に入ろうというのだ。今日は露天風呂も賑わいそうだ。

 小浜町から、国道57号線を雲仙の頂上を目指して上って行く。観光バスの後に着いてゆっくり走っている。急カーブの続く道だが、道幅も十分にあり、なかなか立派な道だ。温泉があちらこちらからら湧き出て、古くから湯治場とし利用されていた雲仙が、国定公園に指定されたのは、昭和に入ってすぐのことで、国立公園の制度ができ、その第1号として雲仙が指定されたとのことだった。雲仙普賢岳の噴火が、観光に大きな影響を与えているというニュースは、ずっと前に聞いたことがあるが、普賢岳の噴火も収まり、活気があるようだ。

100-0096_IMG.jpg

 20分ほど走って雲仙中腹にある雲仙温泉街に到着した。大きなホテルや旅館が建ち並んでいる。ここで長居をするつもりはない。少し街中を散策したいのだが、何と駐車場はすべて、有料である。しかも、料金は一律410円也。ケチが染み付いた旅人には、それは余りにも高い料金に思えたのだ。大きなホテルや旅館の建物を見たことで、雲仙温泉に行ったことにして、車を発車させた。後で知るのだが、この温泉街に「雲仙小地獄温泉館」という穴場の温泉館があるそうだ。入浴料が400円と格安の共同浴場で、もちろん駐車料金もいらない。江戸時代に開かれた温泉で、大正時代に作られ、現在に至っているという。行き当たりばったりの旅では、そういう穴場を見落とすこともしばしば起きるのだ。 

 雲仙岳の頂上を巡るハイウエーがある。仁田峠から普賢岳・雲仙岳を縦走するスカイラインで、仁多峠からはロープウエーが妙見岳まで通じている。登山道も整備され、普賢岳や雲仙岳の頂上にも上れる。有明海から遠く阿蘇まで見えるという。雲仙へやって来た人はほとんどが、そこを走るのだろうが、ケチな旅人には有料ということが引っ掛かり、そのまま島原へ下ることにした。

100-0099_IMG.jpg

 山道を一気に下り、深江町に到着した。後ろを振り向くと、荒々しい赤茶けた山肌が眼前に聳えていた。普賢岳だった。岩肌が剥き出しで、草木の姿は一つも見ることが出来ない。溶岩が流れた跡が幾筋もそのまま残っている。恐ろしい風景だった。大雨が降ったら、崩れてきそうな感じがする。いや、またあの頂上から噴火が起こりそうな感じがする。今でも恐ろしさを感じるのだから、噴火当時はどんなに恐ろしかっただろう。この深江町に、土石流で埋まった家屋がそのままの姿で保存されているという記念館があるというので、車を走らせた。道の駅「みずなし本陣ふかえ」の中に「土石流被災家屋保存公園」は併設されていた。

101-0104_IMG.jpg
 
 公園には、土石流に埋まった家屋が、災害当時そのままの形で保存されていた。大きな岩や石で、屋根近くまで埋まっている。そういう家が何軒も、ある。やって来た人たちも、「これはひどい。自然の力にはどうにもならんわ」とその被害の酷さに驚きの声を上げていた。団体客に説明している人がいるので、話に耳を傾けた。

101-0107_IMG.jpg

 「当時、私はここに埋まっている家に住んでいました。噴火が起きた時は、凄かったです。たくさんの人がその為に命を無くしたことは、皆さんもご承知のことだと思います。予想もつかないほどの大惨事になりました。そして、土石流です。私の家も埋まってしまいました」その男性は涙ながらに語っている。「一番嬉しく感じたのは、全国の皆さんからの励ましの手紙や支援物資でした。くじけそうな時にも大きな支えになりました。そして、現在のように復興できたのです。ありがとうございました」とその男性は深々と頭を下げた。

 「現在の生活はどうですか」と誰かが質問した。「大変です。深江町や島原は、見た通り大きな産業がありません。観光でしか食っていけない所です。災害にあった家屋もこのように観光に利用しています。たくさんの人に普賢岳を見に来てほしい。温かい温泉にも入りに来てほしい。そして、みやげを買って行ってほしいというのが私の本音です。今日は土産を一つでも多く買って行ってください」と話をまとめた。

101-0109_IMG.jpg

 道の駅の中に「大火砕流体験館」があるのでそこへも行った。噴火当時の映像と音響と振動で十分に自然の脅威を体験することが出来た。とにかく普賢岳噴火は凄いものだったということがよく理解できた。道の駅の正面には、荒々しい普賢岳が聳えていた。二度と被害を出さないでほしいと願い記念館を後にした。

101-0118_IMG.jpg
 
 旅人は、島原半島の突端、口之津港から天草へ渡るフェリーに乗船した。雲仙を全て見学した訳ではないが、普賢岳を見たことで満足したのだ。小さなフェリーの料金は1900円。長崎県口之津港と熊本県鬼池港を結んでいる。一時間に一本の便がある。ここではフェリーが島を結ぶ唯一の交通手段なのだ。

 「天草」から連想するのは、キリシタンである。江戸時代には迫害を受けた受難の地である。その歴史の跡が今も残っているのだろう。それが見たいという理由で天草へ行くのだ。博多を出発して、3日目。200キロ以上走り、ようやく熊本県に入った。

101-0123_IMG.jpg

 鬼池港に到着。港の観光案内所を覗くと天草町が発行したパンフレットが置いてあった。さっそくそれを開いてびっくり。天草は一つの町とばかり思っていた旅人の目に飛び込んで来たのは、たくさんの町からなる天草だった。しかも、島は二つあるのだ。天草上島と天草下島である。旅人がいるのは、天草下島の五和町。パンフレットには、この辺りの町については何も紹介がなく、ずっと先の天草町のことしか載っていない。天草町が発行したものだからそうなのかも知れないが、旅行者には大変不親切なパンフレットだった。とにかく、天草は大きな島だということが分かった。

 この時点で、「天草のどこを見学するの?」と聞かれたら、「天草町へ行けば何かあるのでは」と何も知識がない場合は、こう答えるのではないだろうか。旅人もそう考え、天草町へ行くことにした。

 海岸に沿った道路を1時間近く走り、天草町へ到着した。途中、苓北町物産館で天草全体の地図も手に入れ、大体の様子が分かり始めていた。天草にも温泉があちらこちらにあるようだ。天草町の入口にある下田温泉でのんびり過ごすことにした。時刻は午後4時。夕食もそこで食べて、今日は天草のどこか景色のいい所で野宿することにした。

 下田温泉は、鄙びた温泉街だった。細い川に沿って、小さな旅館や民宿が並んでいる。その中に、日帰り温泉があるというので出掛けた。駐車場は車で一杯だった。何とか車を停め、タオルを持って入口から中へ入った。小さな入口だった。その向こうには、売店も並んでいる。これなら、食事も出来そうだと思った。自動販売機で入場券を買うシステムだった。驚いたのは、その料金だった。200円。余りにも格安の料金なのに驚いた。いい温泉を見つけたものだ。脱衣場で衣服を脱ぎ、温泉へ行った。風呂は結構混んでいた。サラッとした温泉だった。体を洗おうと洗面台に行ったところで、少し驚いた。普通ならあるシャンプーや石鹸が洗面台にないのだ。「200円なら仕方がないか」とその時は思った。再び温泉に入り、体が温まったところで風呂を出た。
 
 トラブルはその後に起こった。風呂を出て、食事のできる部屋へ移動しようとした時に、受付のおばさんに呼び止められたのだ。「そこへ行くには、もう一度料金を払ってもらわなくてはだめです」とおばさんは可笑しなことを言う。「どういうことですか」と旅人はムッとした表情で聞き返した。「貴方が入ったのは、共同浴場です。食堂があるのは、白露館という温泉センターです。別料金を払ってもらわないとだめなのです」おばさんに頑固に拒否されたのだ。しぶしぶ、別の入口へ行ったが、料金は500円だった。風呂には入ってしまったし、食事をするためだけに500円を払うのはしゃくだった。旅人は、のんびりここで過ごそうという予定を急遽中止し、温泉センターを後にした。

 天草のどこかで、今晩野宿することに変わりはなかった。温泉センターの近くにスーパーがあったので、夕食を購入した。ハマチの刺身と五目寿司が今晩の夕食の献立になった。のんびり一杯やりながらの夕食が、車の中での夕食に変わったことは残念だった。 

 時刻は午後4時半、まだ太陽は高い所にある。どこか見学できそうだ。とにかく車を走らせることにした。しばらく走ったところに十三仏公園という標識が出ている。面白そうなので行ってみた。白い砂浜が続く海岸が遠くに見え、公園からの眺めは素晴らしかった。公園の隅に小さなお堂があり、十三仏堂と表示があった。お堂の中には仏さんが奉ってあった。

 地図には、この先に大江天主堂という教会が記されているので、さらに車を走らせることにした。道は細く、山陰に入ると薄暗い。車も全く走っていない。こういう時は、やはり不安な気持ちになる。美しい砂浜が見える海岸で車を停めればよかったと後悔もするが、とにかく車を走らせた。旅人は、後戻りするということが好きではないのだ。やがて民家が続くようになり、道を間違えていないのだと安心した。そしてしばらく走ると、ようやく教会らしい白い建物が見えて来た。その前に広い駐車場があるので車を停めた。トイレもある。今晩はここで野宿することも出来そうだ。

101-0128_IMG.jpg

 白い建物は教会ではなく、キリシタンの文化や資料などを展示した天草ロザリオ館という資料館だった。開館時間を過ぎ、扉は開かなかった。大江天主堂は丘の上にあるという。道標があるので、それに沿って上って行く。歩道には赤いレンガが敷き詰められている。たくさんの観光客がここを訪れるのだろう。やがて右手の丘の上に白い教会の建物が見えて来た。美しくて立派な教会だ。息を切らせて急な坂道を上り詰め、教会の前に到着した。丘の上に建つ教会の眺めは、外国に来たような錯覚を覚える。旅人は、教会を異国の建物に感じるのだ。「天草の地で宣教師として布教を続けたガルニエ神父によって昭和8年に建てられた。ロマネスク様式の建築方法で作られている」と説明がある。太陽の光を受け、屋根の上にある十字架が輝いていた。

 丘の上から、海が見えた。漁船の姿も見える。大きな漁港があるようだ。街中の駐車場で野宿するより、漁港の方がのんびりできる。今夜の寝場所は、漁港に決めた。


 日が暮れ始め、辺りはだいぶ薄暗くなってきた。時刻は午後7時。旅人は、大江漁港の埠頭に停めた車の中で、夕食を食べ始めている。漁船がたくさん停まっているが、人影は全く見えない。みんな家へ帰ってしまったのだ。近くにある家の明かりがはっきり見えるようになって来た。あの家では、テーブルを囲んでワイワイ言いながら夕食を食べているのだろうか。1人車の中で食べる夕食は、侘しいものだった。少々感傷的になった旅人だった。漁港の夜は、静かに更けていった。


[ 2013/01/30 09:07 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム