水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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春間近な九州路 放浪の旅 10

2月17日(火) 枕崎(鹿児島)~指宿(鹿児島)~知覧(鹿児島)~小林(宮崎)

 車の動く音で目が覚めた。寝袋から這い出すと、明かりを点けたフォークリフトが旅人のすぐ横を走っていた。鉄の籠を運んでいる。時刻は午前4時だった。荷揚げ埠頭の倉庫のような所に車を停めたのだが、まさかここで作業が始まるとは考えていなかったのだ。「おい、お前、どこへ車を停めているのだ」と叱られそうだ。旅人の慌てふためいた様子は、さぞかし滑稽だっただろう。寝ぼけ眼でエンジンをスタートさせ、アクセルをブレーキと踏み違え、大きなエンジン音を響かせて車を発車させるのだった。


 後で分かるのだが、旅人が野宿した場所は、枕崎市営漁業協同組合の荷揚げ埠頭だったのだ。雨でも作業できるようにと、屋根があり、フォークリフトやベルトコンベアーなどもきちんと整備されていたのだ。そこで野宿していたのだから、まかり間違えば、不法侵入罪に問われても文句は言えない。

 旅人がそこから立ち去ったかと言うと、そこが旅人らしく、車を荷揚げ埠頭の駐車場に停め、この後の作業を見守ることにしたのだ。この様子を読者に届けるため、記事にしようというのだ。

 午前5時、荷揚げ埠頭で動くフォークリフトが4台になる。ベルトコンベアーを移動したり、大きな鉄の籠を配置したりしている。相当大きな船が入港する雰囲気だ。

 午前6時、乗用車が3台、荷揚げ埠頭横の駐車場にやって来た。白い手ぬぐいを頭に巻いた若者が3人下りて来た。談笑している感じだ。

 午前6時15分、車が続々やって来る。台数は30台近い。通勤ラッシュの雰囲気だ。「今から作業が始まるぞ」という雰囲気が漂っている。

 午前6時30分、全員が整列し、朝会が始まった。総勢50人は超えている。監督らしい人が、今日の作業の指示をしている。朝会が終わり、車に戻る人、集まって談笑する人、作業服に着替える人など、みな様々である。とにかくまだ船は入港していない。皆、船の入港を待っている。

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 午前7時15分、大きな船が入港してきた。「PANAMA」と船体に書いてある。ブリッジに髭モジャの外国人の顔が見える。

 午前7時20分、船が埠頭に横付けした。待機していた20人くらいの男たちが、大きな木槌やデッキブラシを持ち、船に乗り込んで行く。デッキブラシは船内を掃除するために必要だが、木槌はなぜ必要なのか旅人には分からない。

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 午前7時30分、船のクレーンが動き出し、船底から大きな網が上がって来る。網の中に入っているのはカツオだろうか。ベルトコンベアーも動き出し、大きな魚がコンベアーの上を流れて行く。コンベアーの横では、巻尺を持った男たちが、魚の長さを測って選別し、大きな鉄籠に魚を投げ入れている。鉄籠の中を覗くと、カチカチに凍ったカツオが入っていた。日頃見ているカツオとは比べ物にならないほど大きかった。船に乗り込んで行った男たちが担いでいた大きな木槌は、「冷凍されたカツオを叩きはがす道具だった」ということに、その時気付いた。船からは、カツオだけでなく、巨大なマグロも上がって来た。船底の寒い冷蔵庫の中では、男たちと魚の格闘が続いているのだろう。

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 午前7時45分、作業は本格的になり、船のクレーンが何台も動いている。フォークリフトが、魚で一杯になった鉄籠を大型トラックのコンテナに積み込んでいる。大型トラックは、コンテナに鉄籠が一杯になると、走り去って行った。トラックは、魚市場へ行くのか、それともどこかの加工工場へ行くのかここでは分からない。枕崎で水揚げされたカツオやマグロが全国へ送られて行くのだ。遥か九州の枕崎から全国へ送られて行くのかと思うと、不思議な感じがする。(以上)

 午前8時過ぎ荷揚げ作業が続く埠頭から、魚市場へ行った。すぐ横に大きな食堂があるので、朝食はそこで食べることにした。食堂のテーブルは結構混んでいて、作業服を来た男たちが食事をしていた。刺身定食とか焼き魚定食とかメニューはあるが、日替わり定食が配膳台には並んでいる。それを注文した。塩サバとご飯と味噌汁が付いて400円だった。「納豆や卵、海苔、煮物がそこにありますから、好きなだけ食べてください」とおばさんが言った。湯飲み茶碗が並ぶ所に、納豆等が並んでいた。格安の朝定食だった。食堂は大忙しである。次から次にお客さんが入って来る。皆、ここで働いている人たちだ。旅人のような気楽人間はいないのだ。

 食事を終え、外へ出た。魚市場はトラックやフォークリフトが激しく出入りしていた。魚市場の床には、マグロやカツオが、ずらりと並んでいるのだろう。「仕事の邪魔をしちゃいけない」いつもとは少々違った気分になっていた旅人は、魚市場の見学を止め、開聞岳に向けて車を発車させた。

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 枕崎から海岸道路を快調に走って行く。空は晴れ渡り、雲一つない上天気である。行く手に円錐形の美しい山が見えて来た。標高924mの開聞岳である。薩摩富士とも呼ばれている通り、富士山と形がよく似ている。山頂まで徒歩で、2時間半ほどで行けるという。畑には黄色い菜の花が咲き、春真っ盛りだった。

 開聞岳から指宿温泉へ行った。この辺りを巡る観光コースだ。指宿温泉は、砂むし温泉として有名な温泉である。大きなホテルの前で停車すると、若い女性が車の所へ近づいて来た。「温泉にお入りですか」とその女性が言った。「ここには、日帰り温泉のような施設はないのですか」と旅人が言うと、「ああ、それなら、もう少し行きますと、市営の砂むし温泉がありますから、そちらへどうぞ」と女性は親切に教えてくれた。

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 市営砂むし温泉の入浴料は900円。高い入浴料である。受付で、温泉の入り方について説明を受ける。「更衣室で下着を全て脱ぎ、浴衣に着替えてください。それからタオルだけを持って海岸にある砂むし温泉へ行ってください。そこに係りの者がいますから指示に従ってください。入浴が終わりましたら、ここへ帰ってください。シャワーをしっかり浴びた後、お湯にお入りください」砂むし温泉に入るにも順序があり、それをしっかり守らなければいけないのだ。

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 浴衣に着替えて、海岸へ行くと、砂浜に囲いが作ってあるのが見える。そこが温泉のようだ。囲いの中へ入ると、人が砂の中に顔だけを出して埋まっている。まさに砂蒸しである。スコップを持った青年が、「どうぞここへ仰向けに寝てください」と、少し穴のようになった砂場を指差している。そこに寝るらしい。タオルを頭に巻いて、横になった。背中から熱が伝わって来る。「だいたい10分くらいだと思います。熱いようでしたら、言ってください。砂をどけますから」と青年は入り方を説明し、砂を掛け始めた。やがて、旅人は顔だけ出して、砂の中にすっぽり埋められた。「結構熱いですね」と青年に話し掛けた。「地面のすぐ下までお湯が来ているのです。もう少し潮が引けば、砂浜でも入ることが出来ます。砂浜を歩いていて、火傷することもあるくらいです」青年は詳しく説明してくれる。足や手の指先が脈を打っているのが分かる。砂で圧迫されているからだ。生きているという実感がした。「この温泉は体にいいということで、毎日通ってくる人もいます。そこのおじいさんもよく見えます。今年、92才でしたか。だいたい1日900人くらいですかね」青年は、楽しそうに砂をかけながら、話してくれた。

 体も温まり、砂から出て、更衣室へもどった。そこで、浴衣を脱ぎ、シャワーを浴び、砂をきれいに落としてから、風呂に入った。ここは、砂むし温泉と、普通の温泉と両方が楽しめるのだ。入浴料の900円は、浴衣の洗濯代が含まれているから高いのだと理解した。帰りに、海岸の砂浜を歩いてみた。砂浜のあちらこちらから湯気が上がっている。「火傷をすることもありますよ」と青年が言ったことは本当のようだ。指宿温泉は、自然の神秘さを感じさせる温泉だった。

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 指宿から知覧へ車を走らせる。知覧は、戦時中、特別攻撃隊が出撃した基地のあった所だ。高倉健の映画「ホタル」を見てから、行って見たいと思っていた。地図で見ると、「知覧特攻平和会館」という建物がある。そこを目指して車を走らせた。海岸線から離れ、小高い山が続く所を走って行く。知覧飛行場は山の中にあったようだ。やがて、大きな公園に到着した。飛行場があった所だという。その中に「知覧特攻平和会館」はあった。

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 平和会館へ続く遊歩道は、観光客で溢れていた。この人たちの多くが、複雑な気持ちでこの道を歩いているのだろう。つい先日、戦闘が続いているイラクへ自衛隊員が派遣されたのだ。戦争は、ずっと昔に終わったはずなのに、再び日本が戦争に参加しようとしているのだから。

 「特攻平和会館」には、戦争に命を投げ出して行った若者たちの遺書や遺影や遺品、記録等が展示されていた。館内は厳粛で、見学する人の歩みは遅い。展示されている遺書や遺品を一つ一つ見て行くからだ。旅人も同じように見て行った。驚いたのは、どの遺書も、見事な字で書かれているのだ。難しい漢字で綴られている遺書もある。死んで行った若者たちが、如何に優秀だったかを証明していた。ハンカチを手に、涙を拭きながら、立ち止まっている女性の姿もある。

 生々しいゼロ戦の残骸も展示されていた。ビデオで、出征する特攻兵の姿や、撃ち落されるゼロ戦の映像が流されている。映画「月光の夏」の主題になったピアノも飾ってあった。ここから出撃して行った1036人の若者たち一人一人の遺影は、あまりにも残酷だった。「二度と戦争を繰り返してはいけない。犠牲者は自分たちだけで十分。世界が平和でありますように」と、遺影は訴えていた。

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 会館の玄関の所に、特攻兵と母親の像が立っていた。ベンチに座って眺めていると、そこへ写真屋さんが近づいて来た。「商売は儲かりますか」と声を掛けると「この時代でしょう。写真屋の職業は難しくなりました」と、写真屋さんは、アガッタリという表情だった。「特攻兵と同じように自衛隊が戦場へ行ってしまって、大変な時代になりましたね」と旅人が言うと、「二つ目の特攻会館はいりません。特攻会館はここだけで十分です」と写真屋さんは怒っていた。「平和への祈り・・・新たに」と訴える「知覧特攻平和会館」の存在意義を認識した旅になった。

 時刻は午後1時、これからどこへ向かおうか。旅人は、また行く先を見失っていた。「知覧はいいよ」と言われて来たのだが、その先のことは考えていなかったのだ。取り合えず、鹿児島へ向けて車を走らせることにした。鹿児島には櫻島がある。フェリーで渡って見学することも出来る。その後、大隈半島へ行ってもいいかも。そんなことを考えながら、車を走らせた。鹿児島市内に近づくに連れて、車が多くなり、車線が広くなり、いやな都会の道になった。渋滞も始まり、旅人は、早くこの町を抜け出したい気持ちになっていた。「宮崎」という標識が見える。桜島へ渡ることは止め、そのまま走り続けることにした。そして、しばらくして混雑した道路から解放された。

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 右手に美しい海を見ながら走っている。美しい海は錦江湾である。その向こうには櫻島が見える。頂上は雲が掛かっている。現在も噴火しているから、雲ではなく火山の煙かも知れない。穏やかな風景だった。何年か前に、この景色を列車から見たことがある。「青春18きっぷ」で旅行した時だ。あの時は桜島へ渡り、展望台から桜島が噴煙を上げているのを見た帰りだった。美しい錦江湾と噴煙を上げる荒々しい櫻島の風景が強烈に残っている。

 このまま国道10号線を走り続ければ、宮崎に行くのだが、目的地がはっきり定まらない。これからどこへ行くのか、少し時間を取って考えることにした。旅に残された日数はあと3日だった。今回の旅は、川辺川ダムの話を聞いたことから始まった。しかし、まだ、五木村へは行っていないのだ。気ままな旅をしているので、月日の感覚が鈍っていたのだ。今後の日程を考えると、明日は、五木村に行かなくてはいけないのだ。「明日は、五木村の川辺川ダムを見に行く」ようやく目的地が定まった旅人だった。目指すは一路、五木村である。

 鹿児島県から宮崎県都城市に入った。ここから五木村に向けて、国道221号線を走って行く。このまま走りつづければ五木村の近くまで行ける。しかし、時刻は午後4時を過ぎていた。どこかで宿を見つけなくてはいけない。下着の替えがもうなくなっていたのだ。今日は、洗濯をするために宿へ泊る。「洗濯は、宿でする」という前回の旅のパターンを繰り返すことになった。洗濯代は高くつく。

 「小林市」という道路標識がある。どこかで聞いた名前だった。しばらく考えていて思い出した。高校駅伝で強い学校の名前が「小林高校」だった。これも何かの縁と、小林市で宿を見つけことにした。「JR小林駅」という案内板を見つけた。駅前にはホテルがありそうだ。予想通り大きなホテルがみえる。シティホテルのようだ。駐車場に車を停め、フロントへ行く。「1人ですが、泊れますか」と受付の男性に言った。「今日はあいにく満室です。申し訳ありません。この裏に、プラザホテルがありますから、そちらで聞いてください」受付の男性は申し訳なさそうに言った。小さい町では、平日の方が部屋を確保するのが難しいのだ。

 教えてもらったプラザホテルへ行った。「お一人様ですか。シングルではありませんが、和室なら空いています。よろしいですか」とオールバックの髪型の女性が言った。このホテルの支配人か経営者のようだ。1泊2食付きで、1万円だった。地方にしては高い料金だと思った。案内された部屋は、広い和室だった。4人が十分に泊れそうな広さである。しかも、トイレも風呂も別棟にあるのだ。ゆったり休めそうだが、照明が半分故障していた。日頃は使わない部屋なのかも知れない。

 無事、部屋も確保でき、風呂に入り、早速洗濯をした。エアコンもあるので、明日までには乾きそうだ。午後6時半、夕食にレストランへ行く。焼酎を頼んだ。九州は焼酎の本場である。「明月」という焼酎を頼んだ。柔らかい感じの芋焼酎だった。フルコースの料理が運ばれた。刺身、煮物、焼き魚、茶碗蒸などそれなりの料理だった。

 まだ少し飲み足りない旅人だった。ホテルを出て、小林の町を歩き出した。幹線道路からそれ、閑静な住宅街を歩いて行る。賑やかな所とは反対の方角へやって来たようだ。引き返そうと角を曲がると、赤提灯がぶら下がっていた。こんな所にも飲み屋があるのだと驚いた。小さな居酒屋だった。丸椅子が十個ほど並んでいる。ママさんとおばあさんが話している。お客さんがおばあさんとは驚く。

 「隣のホテルにお泊り」とママさんが言う。「いえ、駅前のプラザホテルです。どこかに飲み屋がないかと探していて、ここを見つけたのです」と旅人は言った。「プラザホテルは高いでしょう。隣なら、半分くらいで泊れるのじゃない。仕事ですか」とママさんが聞く。「いえ、旅行です。富山からやって来ました」と旅人は話した。「富山から来たの。薬屋さんじゃないの」とおばあさんが言った。ここでも、「富山」と聞けば、「薬売り」を連想するようだ。棚に焼酎の瓶がずらりと並んでいた。美味しい焼酎を注文すると「霧島」の水割りが出て来た。少し甘味のある芋焼酎だった。

 話題は旅の話で次第に盛り上がっていった。これも旅人が仕掛けるからそうなるのだろうが、人は皆、旅に憧れているのだ。明日行く「五木村の川辺川ダム」の話をすると、ママさんは、奥から地図を持って来て、「平家の落人伝説が残る五家荘へ行くといいよ」と目をキラキラさせていた。焼酎のお代りをした。「おごりだよ」とおばあさんが、「木挽き」の水割りを勧めてくれた。これも芋焼酎だった。話は、ママさんの身の上話になった。

 3年ほど前に旦那がなくなり、小さい子どもを抱え、生きる希望を失いかけていたという。自殺を考えて線路を渡ろうとしたこともあったという。そんな時に、このおばあさんと偶然知り合い、いろいろ助けてもらったのだという。そして、生きる希望が持てるようになり、2年前、思い切って自分の家を改造し、飲み屋を開いたのだという。閑静な住宅街に不似合いな飲み屋と感じたのは、そういう経緯があったのだ。

 閑静な住宅街だから、トラブルもあったという。飲み屋ということで、周りから総スカンを食らった話は強烈だった。「1年ほどは大変でした。泣きたくなるようなこともありましたが、そんな時、おばあさんが相談のってくれて励ましてくれました。ようやく常連客もできて、何とか暮らしていけるうになりました」ママさんは見も知らぬ旅人に本音で語っている。「見も知らぬおばあさんに命を助けられ、それからもずっと心配して今日のように飲みに来てくれるのです。今では、自分のお母さんのように思っています」ママさんは目を潤ませていた。涙が出そうな話だった。「料理が下手で、料理屋らしいものが出せないよ。しっかり勉強しなさいと言っているのよ」と、おばあさんは笑っていた。旅人は、温かい人情話を土産に、ホテルへ帰って行った。


[ 2013/02/06 10:03 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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