水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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春間近な九州路 放浪の旅 11

2月18日(木) 人吉市(熊本)~五木村(熊本)~通潤橋(熊本)~高千穂(宮崎)
 
 午前6時起床。少々頭が重い。飲み過ぎたようだ。シャワーを浴びに風呂へ行く。しかし、ここでトラブル。お湯のコックを開いても水しか出ない。しばらく待てば、お湯になるかと待っていたが、一向にお湯は出て来ない。あきらめて、水のシャワーで眠気を払った。やはり、この部屋はしばらく誰も泊っていなかったようだ。
レストランで朝食。作業服を来た人たちが食事をしている。皆、これから現場に働きに行くのだ。平日のホテルは、こういう人たちで一杯なのだ。のんびり旅をしているのは旅人だけのようだった。

 午前7時半出発。今から川辺川ダムへ行くのだ。国道221号線を走り続ける。車の流れは、時速80km。まるで高速道路のようだ。「宮崎自動車道の人吉方面は霧のため時速が50kmに制限されています」とラジオから流れて来る。この先で霧が発生しているようだ。えびの市から人吉市へ向かう所で、山道になった。ぐんぐん上っていく。やかで濃い霧の中に入った。ライトを点け、のろのろ運転が始まる。険しいカーブが続く山道で、しかも霧の中とは、どこか休憩所があったら休みたい。そう思っていたら、展望所のような所が見えてきた。霧が晴れるまで、待つことにした。

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 それは、突然やって来た。霧が薄くなったかと思うと、霧の隙間から眼下に広がる景色が見え出したのだ。雲海に囲まれた町並み、その雲海の向こうには墨絵のような山々の姿、見上げれば雲一つない青空。美しい風景だった。雲海に浮かぶ山並みは、霧島連山のようだ。小さな町並みはえびの市のようだった。いつまで見ていても、見飽きない風景だった。

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 峠を超え、山を下り、人吉市に到着。市役所へ行けば何か資料があるかも知れないと思い、車を走らせた。しばらくして、小さな川に沿うように、立派な櫓が見えてきた。昔、お城があった所のようだ。古風な橋を渡ると、市役所の建物が見えて来た。市役所は人吉城跡に建てられていた。

 「川辺川ダムへ行きたいのですが、どう行ったらいいでしょう」旅人は、パソコンを打っていた青年に声を掛けた。「えっ、川辺川ダムですか」青年は、少しめんどうだなという顔をしている。「場所が全く分からないのです。資料があれば戴きたいのですが」と言うと、「川辺川ダムについては、五木村の管轄ですから、五木村へ行って貰ってください。五木村への行き方は、これで分かりますかね。役場も移転していますから、この道を走っていけば分かると思います」と青年は、ガイドマップを開いて説明してくれた。この役場へ、人吉市とは管轄が違う川辺川ダムのことについて、尋ねてくる客は、招かざる客なのかもしれない。しかし、川辺川ダムについては、この町に関係があるのに、資料が何もないというのは、可笑しな話だと思った。

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 球磨川の支流、川辺川に沿って国道445号線を走って行く。人吉市内は細い道だったが、途中から立派な道路に変わった。ダム建設の資材を運ぶため、道路が整備されたのだろうか。次第に道は険しくなり、崖の遥か下に川の流れが見える。もうすぐ五木村という辺りで、大掛かりな工事をしている所に出た。峡谷が少し広くなった川原に、巨大なコンクリートの台地が見える。ダムの土台になる基礎部分を建設しているように思えた。どうやらここに川辺川ダムを作るようだ。基礎部分はすでに四箇所ほどが完成し、だんだん上の方に工事が進んでいるように見える。ダンプやパワーショベルなどが忙しそうに動いていた。「川辺川ダムの建設はまだ決まっていない。現在係争中である」と認識していたのだが、現実には、工事が着々と進められていたのだ。国家という巨大な力を見せ付けられたように思った。この谷間にダムができるのだろうが、川幅から想像すると巨大なダムになりそうである。本当にそういうダムが、今、この地域に必要なのだろうか。ダムの見直しが進む時代の流れに逆行しているように思えた。五木村は、加藤登紀子さんが言っていたように美しい村だった。

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 五木村役場に到着した。役場は、川からかなり上がった丘の上に引っ越していた。数寄屋造りの立派な建物だった。役場の周りには、駐在所や商店、民家も並び、皆、ピカピカの新築である。墓地のお墓も、皆黒光りしていた。ダムがいつ出来てもいいという雰囲気が漂っている。

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 玄関に入り驚いた。入口でスリッパに履き替えるのだ。今時、珍しいシステムである。総ヒノキの床張りだから、スリッパに履き替えてくださいというのだろうが、旅人には、まだ他にも考えがあってこうなったのではないかと思えた。「川辺川ダムの資料はありませんか」と受付の男性に声を掛けると、男性は、戸棚から幾つか資料を取り出して渡してくれた。「もう基礎工事が始まっているのですね」と旅人が言うと、「ええ、基礎部分だけは着工しています。本体については、ダム建設が決定されれば着工というとになります」と男性は説明した。役場は、川辺川ダム建設を前提にして、新しい村づくりを進めているということだった。ほとんどの家が谷底から移転して新築になり、移転に応じていないのは、あと4軒ほどというのには驚いた。五木村では、今更、ダム建設ストップということにはならないようだ。着々とダム建設に向かって何もかもが進んでいた。


 役場から、谷底を覗くと、今は人が住まなくなった建物がたくさん残っていた。学校や役場も見える。谷底へ下りてみることにした。道路はダンプが激しく行き交い、解体工事が急ピッチで進んでいた。車を走らせると、小さな公園の横に1軒の茶店を見つけた。「子守茶屋」と古風な看板が掛かり、「おみやげ」の旗が風に揺れている。営業しているのだ。移転しないで頑張っている人なのだろうか。旅人は、店のガラス戸を開けて、中へ入って行った。

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 店の奥に2人の中年の女性が座っていた。「こういう中でも営業しているのですね」と旅人はメガネの女性に声を掛けた。「ええ、まだ川辺川ダムを作るとは決まっていませんから。頑張って商売を続けています。ずっと昔からここで商売をやって来たのよ」とメガネの女性はにこにこしている。「今日は、隣の子守唄公園の人形が、突然引越して行ったのよ。本当に腹が立つわ」と、もう1人の女性が言った。「この前、テレビで加藤登紀子さんが、川辺川ダムのことを話していたから、見に来たのです。でも、こんなにダム建設が進んでいるとは、全く驚きました」と旅人は言った。「そうでしょう。私たちもびっくりしているの。どこでダムを作ると決まったのかね。でも、頑張るからね」とメガネの女性が力強く言った。「ここへ来た記念に、土産物を買って行きます」と旅人は、五木名産のお茶と、平家落人が保存食として考案したという味噌豆腐と、切干大根を買った。「これからも元気に頑張ってください」と旅人は声を掛け、茶店を後にした。

 相変わらず、道路をダンプが砂塵を巻き上げながら走っていた。騒然とした中で商売を続けていくのは並大抵の神経ではやって行けないだろう。「まだダム建設は決まっていないのに」とメガネの女性が言った言葉が心に強く残った。本当にダム建設がストップできるのだろうか。

 川辺川は、人吉で球磨川本流と合流して八代まで下り、そこで海に流れ込んでいる。球磨川は日本を代表する清流の1つである。旅人は、五木村から八代まで球磨川を下って行くことにした。来る時に見た、川辺川ダムの大規模な基礎工事が見える。やはり、ダム建設を進めているとしか思えない風景だった。人吉からは、球磨川に沿うように国道219号線が続いていた。堤防道路のような道を走って行く。その風景は、紀伊半島の熊野川に似ていた。眺めのいい所で昼食にした。今日の球磨川は水か少なく、穏やかだった。この辺りが氾濫するという理由で、ダムが作られるのだ。午後2時八代に到着。球磨川は美しい川だった。

 後で知ったのだが、川辺川ダム建設については、次のような歴史があるそうだ。
昭和38年から40年にかけて、この辺りで大洪水が起こり、防災対策からダム建設の要望が高まったという。そして昭和41年、川辺川ダム建設の計画が発表された。しかし、水没する五木村の住民からダム建設反対の声が起こり、長い裁判が続くのである。そして裁判が決着し、平成12年、水没住民の代替地への移転が始まったのだという。

 これで、ダム建設が始まりそうだったが、そこに新たなダム建設反対の声が上がったのだ。それは、五木村からではなく、洪水が起きた人吉や八代からだった。「自然を破壊し、川を汚すダムは要らない。別の方法で、洪水は防げる」という考えだった。「緑のダム構想」という考え方で、山の保水力を増すように、スギ・ヒノキの針葉樹を伐採し、広葉樹を植林しようというのだ。また遊水地なども作り、総合的に洪水が起きないようにしようという理論だ。この声は、大きく広がり、全国からも賛同の声が寄せられているという。各地で、ダム建設が中止されているが、財政難だけでなく、「自然の力で洪水を防ごう」という観点からも中止になっているようだ。川辺川では、熊本県も参加して、「川辺ダムを考える住民討論集会」が何度も開かれ、建設反対に向けて運動が大きく前進しているということだった。現実には、ダムの基礎的な部分は建設がすすんでいるのだが、本体は、ひょっとすると建設されないということになるのかも知れない。結論は、かなり先まで延びそうである。

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 八代で昼食を食べながら、これからどこへ行こうかと考えた。博多には明後日に着けばよいのだ。まだ、九州のどこかで2泊出来る。地図を開いて見ていたら、高千穂の地名が目に付いた。神話の発祥地である。ここから九州
山地を横断して行けば到着できそうだ。今日はそこで野宿しようと決めた。

 午後2時、八代を出発。国道218号線を走る。広くて走りやすい道だ。この道は、宮崎県延岡まで続いている。

 午後3時、矢部町に到着した。ここには道の駅がある。国道から少し離れた所にあるようだ。標識に従って走っていくと、目の前に大きな橋が見えて来た。どこかで見たことのある橋だった。昔、子どもたちに「江戸時代に、石をアーチのように組み合わせて、作った美しい橋」と教えたような記憶がある。教科書に載っていた橋だった。駐車場には、道の駅「通潤橋」と大きな看板が出ていた。立派な道の駅で、景色もよく、どこかの別荘に来ているような感じがした。こういう場所で野宿したらいいだろうなあと思った。

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 通潤橋の下を小さな川が流れ、鯉も泳ぎ、遊歩道も整備されていた。近くに滝もあるというので、少し距離は遠いが見に行くことにした。通潤橋で有名なのは、石橋の歴史の古さもあるが、石橋の途中に大きな穴があり、そこからの放水があることだ。石橋から放水されている風景は、圧巻だという。用水なので、灌漑のために行われるのだが、最近は、観光客の要望があれば、その景色が眺められるということだった。残念ながら、今日は見ることが出来なかった。石橋を渡り、細い山道を歩いて行くと、つり橋に出た。つり橋からは「五老ケ滝」と呼ばれる、高さ50mもある壮観な滝が見えた。通潤橋全体が広い公園になっていて、国民宿舎もあり、季節のいい時期には、たくさんの観光客で賑わっているのだろう。

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 午後4時、通潤橋を出発。少し走ると道の駅「清和文楽邑」に到着した。清和村には、伝統芸能の「清和文楽」が受け継がれているという。道の駅には専用の劇場があり、文楽が演じられているというのだが、時刻が遅く、道の駅では、片付け作業が始まっていた。高千穂はまだ遠い、道を急がなくてはいけない。

 午後5時半、道の駅「高千穂」に到着した。新しい道の駅だ。ここを今夜の寝場所に決めた。すぐ近くにスーパーがあるので、夕食を買いに行った。カンパチの刺身とうどんを買った。刺身は300円と格安だった。ガスコンロで久しぶりに熱いうどんを作ることにした。その前に、近くに温泉でもあれば入りに行こうと、道の駅で尋ねた。「ここから車で15分くらいのところに天の岩戸温泉があります」というので、少し距離は遠いが行くことにした。

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 国道から別れ、細い道をしばらく走った所に「天の岩戸温泉」があった。天照大神が隠れた天岩戸の洞窟は、ここからもう少し奥へ行った「天岩戸神社」にあるということだ。小高い丘の上にある温泉の駐車場からは、美しい高千穂の山が見えていた。夕暮れ時を迎え、山は赤く染まっていた。高千穂という地名は「高い峯が千ある」というところから付けられたのではないかと思った。鋭く尖った峯が幾重にも連なって、幻想的な風景だった。神々の発祥の地に相応しい風景だった。

 天の岩戸温泉は、混んでいた。温泉はさらりとした感じのお湯だった。入浴料が300円と格安だったのには驚いた。体も温まり、すっかり日が落ちた道を駐車場へ帰る途中、別棟から、賑やかに談笑する人たちの声が聞こえて来た。富山の上さんのことが、ふと、頭に浮かんだ。旅人は携帯電話を取り出し、上さんに電話した。「今、高千穂にいるよ。今日は、夕日が美しかった。旅はもう少しで終わる。明後日には、博多から船に乗るから」と旅人が話すと、「元気ならいいわ。旅を楽しみなさい」上さんからは、そっけない返事が返って来た。相変わらず、上さんは、仕事に振り回されているようだ。

 道の駅へ戻り、熱々のうどんを作り、いつものように車の中での夕食が始まった。道の駅の売店は、明かりがすっかり消え、停車している車も少なく心細い雰囲気だ。刺身は新鮮で美味しかった。熱々のうどんもなかなかの味だった。ラジオからは「鳥インフルエンザのニワトリが大分県で見つかりました」というニューズが流れている。明日は、延岡から別府に向って走ることに決めた。いよいよ大分県に入る。大分県で鳥インフルエンザ発生とは、ひょっとしたら思いがけない場面に出くわすかも知れないなあと思った。

 酔いも回り、寝袋を引きずり出した。野宿の夜は、飲み潰れて早く寝るに限る。出発の時に意気込んでいた「旅をしながら、パソコンを使って文章を書く」という構想は、今日も出来ないまま、深い眠りに引きずり込まれた。神々が眠る高千穂の夜空に、満天の星が輝いていたことを、旅人は知る由もない。


[ 2013/02/08 06:53 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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