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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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春間近な九州路 放浪の旅 12

2月19日(木) 高千穂(宮崎)~臼杵(宮崎)~佐賀関(大分)~別府(大分)~湯布院(大分) 
 
 午前6時起床。まだ辺りは真っ暗である。昨夜、寝る時にはがらんとしていた駐車場だが、周りには結構、車が駐車している。やはり道の駅はドライバーの安眠の場所なのだ。空には星が輝いていた。今日もいい天気になりそうだ。九州に来て、最初の2日ほどは雨模様だったが、それ以降は天候に恵まれた旅を続けている。

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 この道の駅の近くに国見ヶ丘展望台があるというので出掛けることにした。眺望が素晴らしく、遠くは阿蘇や祖母の連山、眼下には高千穂盆地や五ヶ瀬川の渓流が望めるという。雲海に浮かぶ高千穂の山々が見られることもあるという。期待を込めながら、細い山道を上って行った。

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 大きな神社の前に出た。ここにも神々の伝説が残っているようだ。その謂れが説明してある。展望台へは、この神社の前から長い階段が続いていた。階段を上り、展望台に到着した。もちろん人影は見えない。旅人一人である。夜明け前の静寂の中に、高千穂の山々が墨絵の世界を作っていた。高千穂盆地には霧が薄っすらとかかっている。巨大なパノラマを見ているようだ。日本誕生の神話がこの地で生まれたのは、この幻想的な景色があったからではないのだろうか。雲海に浮かぶ山々は望めなかったが、神話と伝説の高千穂を十分に連想させてくれる風景だった。

 早朝の高千穂神社、高千穂峡の見学を終え、コンビニを見つけて朝食にした。ラジオから鳥インフルエンザの続報が流れて来る。大分県で見つかった鳥インフルエンザは、かなり深刻な事態になっているようだった。発生した所から30km以内の養鶏場は卵や鶏肉の出荷が停止され、発生地への車の出入りにも消毒が行われているという。ひどい事になっている。被害が広がらなければいいのだが。

 放浪の旅も、いよいよ最終段階に入った。明日の夜、博多港からフェリーに乗る。今日の行く先は、別府である。延岡から海岸線をずっと走るつもりだ。別府で野宿すれば、明日には十分に博多に到着できそうだ。延岡に向けて出発した。

 国道218号線を一気に下り、午前9時延岡に到着した。ここからは国道10号線を走ることになる。車の流れは順調である。午前10時、佐伯市に入り、道の駅「やよい」で小休止した。あと1時間も走れば、大分市に到着できそうだ。地図を見ると、大分市の近くに佐賀関町がある。関サバ、関アジで有名な所だ。寄り道することにした。

 国道10号線から別れ、海に向って走って行くと、大きな町に出た。「臼杵市」と表示がある。九州に疎い旅人には、初めて聞く名前だ。「国宝臼杵石仏」という看板も見える。街中に入ると、古い町並みが続くようになり、右手に立派な三重塔が見えて来た。安政年間に建てられたものだそうだ。さらに海岸に向って走ると、右手に大きな酒蔵と酒屋が見えて来た。小手川酒造という古い酒屋で、この建物の中に、野上弥生子文学記念館が併設されていた。99才まで執筆活動を続けた昭和を代表する作家は、この家で生まれたのだという。彼女の生家の一部が記念館として公開されていた。その近くには藩主稲葉家下屋敷も残り、臼杵城跡だという臼杵公園には、復元された立派な櫓が建っていた。街中には、寺院や武家屋敷などが残る二王座歴史の道もあるという。臼杵市は古い町並みが残る歴史の町だった。

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 臼杵港へ行った。埠頭にはフェリーが停泊していた。案内所に行くと、地方訛りの言葉が飛び交っていた。フェリーは、四国の愛媛県八幡浜行だった。ここから四国はすぐそこにあるのだ。明日のフェリー乗船がなかったら、そのまま四国に渡りたい気分だった。埠頭には釣人が並んでいる。しかし、魚を釣り上げている人は誰もいなかった。この時期、魚を釣るのはかなり難しいようだ。

 岩礁が続く海岸線を佐賀関に向けて走る。険しい岩場には、釣人の姿も見える。ここは、名高い関サバ、関アジの本場なのだ。大分と愛媛の間にある豊予海峡で、小型漁船の一本釣りで獲った魚を関ブランドというのだそうだ。特にその中でも、マアジやマサバは身が締まり、絶妙の味がするということで高級ブランド化しているとのことだ。昼食は、その関ブランドを食べたいものだ。

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 「関サバ・関アジ」という幟が目立つようになってきた。「どこで食べようか」と考えているうちに、道の駅「佐賀関」に到着した。道の駅には、こじんまりした茶店があった。さっそく中へ入ると、メニューには、「関アジの刺身」「関アジの姿作り」などが並んでいる。しかし、値段を見てびっくり、刺身が2000円、姿作りが2500円である。ケチな旅人にはとても手の出る値段ではなかった。ここまで来て、関物が味わえないとは残念!そう思いながらメニューを見ていくと、鯛のあら煮定食1000円がある。「鯛のあら煮定食をお願いします」旅人は、すまし顔で言った。やがて、注文の料理が届いた。さすがに美味しい鯛のあら煮だったが、隣では、若い男女が豪勢な刺身定食を食べていたのだ。はるばる富山からやって来て、関ブランドには違いないが、鯛のあら煮を食べている旅人は愚かである。こういう時は、ケチを返上して、豪華な料理を注文すべきである。ケチも時と場合を考えなくてはいけないのだ。

 佐賀関から大分市に入ると、車が急に増え、渋滞が始まった。さすがに大分市は大都会だ。別府はもうすぐである。海岸沿いの道路を、のろのろ走り別府に到着した。大きなホテルや旅館が建ち並ぶ大温泉街である。こういう別府にも日帰り温泉施設があるのではと思いながら、車を走らせると、「湯都ピア浜脇」という看板を見つけた。何となく日帰り温泉施設のような名前である。そこへ行ってみることにした。

 ビルの谷間の小さな公園の横に、その建物を見つけた。隣には共同浴場の「市営浜脇温泉」が併設されている。「湯都ピア浜脇」はトレーニングルームがあり、入浴料が500円だった。地下駐車場が3時間無料になるというサービスが付いていたので、「湯都ピア浜脇」を選んだ。「浜脇温泉の歴史は奈良時代に遡り、別府温泉発祥の地と云われている。浜から温泉が湧き出るということから『浜わき』の地名が生まれたと伝えられている」と入口に、浜脇温泉の由来が説明してあった。

 風呂場は広い。かぶり湯、気泡湯、噴出湯、寝湯、全身浴、うたせ湯、サウナ、運動浴・・・。これだけたくさんの風呂を見たのは初めてだ。さすがに、日本を代表する別府温泉だと思った。別府温泉のお湯は無色透明で、サラッとしていた。洗い場で、頭を洗っていると、隣に、背中に刺青をした親父さんが座った。一瞬ドキンとする。刺青を入れる若者が増えているというが、隣の親父さんは、そうではないようだ。水が掛からないように、気を付けて頭を洗った。人を見た目で判断してはいけないのだが、ドキンとしたのは、旅人1人だけだったろうか・・・。

 休憩室でしばらく休む。隣の運動ルームでは若者たちがバーベルを上げたり、自転車を漕いだり、ランニングをしていた。温泉に併設されているというのがすごい。湧出量日本一といわれる別府温泉だからできるのだろう。「ここのお湯は、42度から45度くらいです。お入りいただいたお湯も、源泉そのものです」と受付の男性が話してくれた。体も温まり、別府温泉を後にした。

 時刻は午後4時。別府から由布院への道を走っている。由布院は、別府と並ぶ大分県の代表的な温泉地であるが、「由布院」という名前の響きに、誘われた感じがする。九州最後の夜は、由布院の道の駅で野宿することにしたのだ。

 別府から由布院への道は、急カーブの続く険しい山道だった。道路標識には「制限時速20km」とあるのに、車の流れは60kmだった。ガードレールがあちこちでひん曲がっていた。しかし、ドライバーたちは、そんなことは、お構いなしに走って行く。旅人は、大型トラックに追い立てられながら、必死に車の流れについていった。
高原のような、なだらかな所へ出た。険しい道は終わった。右手には、赤茶けた高い山が聳えている。由布岳のようだった。行く手に小さな駐車場を見つけ、停車した。その先に脇道が続いている。その脇道に、驚くような光景を見つけたのだ。真っ白な防護服を身に付けた集団が、細い道路を封鎖しているのだ。しばらくして、彼等が、鳥インフルエンザの消毒隊であることが分かった。大分県で発生した鳥インフルエンザとは、この近くのことだったのだ。白装束の人たちは、脇道を通る車を消毒しているようだった。大変な時代になったのだ。鳥インフルエンザが拡大しないことを願う。由布院の町は大丈夫なのだろうか。旅人は、早々に車を発車させた。

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 しばらく走ると、眼下に、高い山に囲まれた平原の町が見えて来た。由布院の町だった。人がなぜ由布院へ行くのか、その理由がわかったような気がした。「由布院」という名前に相応しい美しい風景だった。
道の駅「ゆふいん」に到着した。とても大きな道の駅だった。200台は駐車できるスペースがある。ここは、高速道路のインターチェンジ入口がすぐ近くにあり、大分、別府、阿蘇、小郡等へ通じる国道の分岐点にもなっていた。由布院の町からは少し離れた所にあるが、野宿するには絶好の場所だった。道の駅の売店を覗くと地鶏のたまごが並んでいた。由布院町の名産はニワトリの卵のようだ。「鳥インフルエンザが、他町で発生していますが、この卵は大丈夫です」と店のおばさんが叫んでいた。「日本人は、こういうことにはすぐに反応する」という特徴を持っている。卵は、ほとんど売れ残っている様子だった。

 由布院の町に日帰り温泉があるというので出掛けた。別府は大きなホテルや旅館が並んでいたが、ここは小さな旅館や民宿が並ぶ温泉町だった。細い通りをたくさんの観光客が歩いている。日帰り温泉は、町外れの小さな川の淵にあった。「クアージュゆふいん」と大きな看板が立っている。入浴料を見て驚いた。800円である。由布院の温泉に浸かるだけが目的の旅人には、あまりにも高い料金だった。どこか格安の温泉はないものだろうか。そう思っていると、隣に「湯布院観光総合事務所」を見つけた。同じ敷地の中にあるので、聞くのも少し恥ずかしいが、思い切ってたずねてみた。

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 「料金がもっと安い温泉施設はありまんか」受付の男性に声を掛ける。「ここに、由布院温泉の入浴一覧表がありますから、どうぞ。確かに800円は高いですからね。だいだい500円くらいで入浴できる所が多いです。一番のお値打ちは、新町にある乙丸温泉館という共同浴場です。入浴料が100円ですから」男性は親切に場所を教えてくれた。

 車を駐車したまま、歩いて行くことにした。小さな旅館が並ぶ路地から、さらに奥へ入った所に乙丸温泉館の建物を見つけた。鄙びた感じの建物だった。町内会経営の共同浴場だそうた。「入浴料としては受け取っていません。薬師如来像の前の賽銭箱に100円を入れてください」と受付のおばあさんに言われた。賽銭が入浴料とは粋な感じである。手ぬぐいだけを持って風呂場へ行く。石鹸もシャンプーももちろん風呂にはない。それが共同浴場のシステムだ。コンクリートとの湯船が、緑色に染まっている。「由布院のお湯は緑色なのか」と一瞬思ったが、そうではなく、コンクリートが緑色に塗ってあったのだ。柔らかいお湯で、しばらく入っていたら肌がつるつるしてきた。なかなかいいお湯だった。「由布院のお湯がいいということで、人気を集めていますが、別府からもわざわざ入りに来る人がいます」とおばあさんは誇らしげに話していた。

 乙丸温泉館の入口でリュックを背負った2人の若者が話をしていた。すぐ横には自転車が並んでいる。自転車旅行をしているようだ。「すごいね。自転車で旅行しているのかい」と声を掛けた。2人とも真っ黒に日焼けしていた。2人は横浜から来た学生だった。「ぼくは、岡山からずっと走って九州へ来ました」と一人の若者が言った。「ぼくは、紀伊半島から四国へ渡り、四国を縦断して、九州へ来ました」ともう1人の若者が言った。2人は、ここで偶然知り合ったということだった。「私は、車で九州を放浪しています。明日で旅は終わります」と旅人は言った。「九州のどこが一番よかったですか」と聞かれ、「高千穂の景色か素晴らしかった」と旅人は答えた。2人は、明日は、阿蘇へ向けて走っていくということだった。冒険はやっぱり、青年の内にやらないといけないのだ。旅人が今やっていることは、やはり、手遅れのような気がした。

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 街中のスーパーで夕食を買い込み、道の駅へ戻った。売店の明かりも消え、車の台数がかなり少なくなっていた。夕食の献立は、幕の内弁当とアジの刺身だった。芋焼酎で九州最後の夜に乾杯した。明日は一路博多へ戻る。フェリーは、夜中の出航だが、それまで博多の町をぶらつき、「半落ち」の映画も見ようと思った。今晩もパソコンは動かなかった。帰ってから、旅日記を書くのが辛くなりそうだ。由布院の夜は、国道を走るトラックの響きの中で更けて行った。





[ 2013/02/09 06:57 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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