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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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韓国に一番近い島 壱岐・対馬の旅 2

2 3月19日(火)博多から壱岐へ
 
 11時30分、列車は博多駅に到着した。私はいつもの大きなリュックを担いで、歩き出した。改札口を抜け、駅前の地下街を歩く。飲食店や衣料品店などが並び、たくさんの人で混んでいた。さすが100万人を超える大都市だ。
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 博多といえば博多ラーメンである。地下街の中華屋でラーメンを食べることにした。昼時を迎えどの店も混んでいた。あちこち歩き回り、やっと座れそうな店を見つけた。博多ラーメンを注文した。しばらくして、白いスープのラーメンが届いた。細麺のラーメンだった。1口食べた。残念ながら少し粉っぽい。茹で方が足りないように思った。値段は400円だったから仕方がないかと思った。美味しいラーメンはやはり行列のできている店に入らなくてはいけないようだ。

 フェリーの出航まで3時間近くある。博多の町を少し見学できそうだ。これから「壱岐・対馬」へ行くのだから、博多の町でも元寇に関する史跡を見て行くことにした。駅の案内所で、元寇に関する施設がないか尋ねると、「それなら元寇史料館へ行かれるといいですよ。ここから1つ隣の吉塚駅のすぐ近くにあります」と受付の女性が教えてくれた。再び列車に乗り、吉塚駅へ移動した。
 
 吉塚駅の正面に巨大な建物が見える。地図を見ると福岡県庁となっていた。その前が大きな公園になっていて、「元寇史料館」はその中にあるようだ。公園の中を歩いた。昼時で、芝生の上で弁当を開いて食べている人がたくさんいる。この人たちは、たぶん県の職員なのだろう。不思議に女性も男性もみなコンビニ弁当だった。手作り弁当を食べていた時代は終わってしまったようだ。

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 公園に立派な銅像が立っていた。「菅原道真」という文字が見える。「大宰府」に流された菅原道真が博多の町のシンボルになっているようだ。そこから少し歩いた所に、「日蓮聖人」の巨大な銅像があり、すぐ横の建物が「元寇史料館」だった。「元寇」と「日蓮」とは深い関わりがある。昨年のNHK大河ドラマで「立正安国論」を説く日蓮の場面を見たことを思い出した。「元寇史料館」のパンフレットには、「日蓮聖人銅像護持教会」と印刷されていた。
 
 史料館には、武具の歴史、日蓮宗の歴史などのコーナーが設置されていた。元寇当時の遺品の展示もあった。中でもモンゴル型の鎧や兜、鐙、短弓などの展示は貴重だと思った。鎌倉武士の武具に比べると元の兵士はかなり軽い身なりで戦っていたことが分かった。出口に元寇の遺跡の紹介があった。防塁を築いて敵を防いだ跡が残っているという。受付の女性に尋ねると「西新地区の防塁なら、地下鉄で30分くらいかね。藤崎駅で下車してすぐの所ですよ」と教えてくれたので、出掛けることにした。

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 「県庁口駅」から地下鉄に乗車した。途中の「中洲川端駅」で地下鉄を乗り換えた。電車は「大濠公園駅」に停車した。時間があれば下車して散策してみたい公園だ。

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「藤崎駅」で下車し、そこから10分ほど歩くと、小さな公園があり、「元寇防塁」が残されていた。崩れた石垣が土中に埋まっていた。案内板には、「高さ2m前後の石垣の壁が、渚から50m内外のラインに沿って、今津から香椎まで20kmに渡って築かれていた」と説明があったが、今は崩れてしまっていて、昔の形を想像するのは難しかった。すぐ近くに、もう1ヶ所「元寇防塁」が残されていると案内があるので、そこへも行った。濠の中に石垣の壁が残っていた。この石垣で元軍を防いだというのだが、その仕組みはよく理解できなかった。

 再び地下鉄に乗り、博多駅へ戻る。時刻は午後2時30分。そろそろフェリー乗場へ行かなくてはならない。博多駅前から「中央埠頭行」のバスに乗車した。「フェリー乗場へ行くには福岡国際センター前で下車するといいですよ」と隣の女性が親切に教えてくれた。10分ほどで「国際センター前」に到着した。ここは、大相撲九州場所が開かれる所だったような気がした。大きな建物の入口に黒いスーツを着た若者たちがたくさん行列を作っていた。よく見ると「就職説明会」という看板が入口に立てられていた。長引く不況で、若者たちの就職もなかなか決まらない。この若者たちは、来年を目指して、今から就職活動を始めているのだろうか。国際センター前の道路の桜並木が花を開き始めていた。桜の花の下を通って入学式とか入社式ならまだしも、就職説明会では、彼等には春はまだずっと先のことのようだ。

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 博多埠頭からは「壱岐・対馬行」の大型フェリーが出航しているが、もっと高速の「ジェットフォイル」も運行している。「ジェットフォイル」というのは、水をノズルから噴射し、その推進力で海上を走る仕組みの船である。時速90km近く出るという最新鋭の船だという。これから私が乗船するのは「壱岐郷ノ浦行」のジェットフォイルだ。壱岐はこの博多から76km、フェリーなら2時間15分掛かるところを何と1時間で結んでいる。対馬は149kmとはるか彼方にある。フェリーなら4時間近く掛かる所を2時間10分で結んでいるのだから、その速さが分かる。離島だから生活は不便だという認識はあるが、交通手段の発達で不便さは、かなり解消されつつあるのだろうか。    
 
 乗船手続きを終え、船着場の前のベンチで待っていると、近くの離島を結ぶ定期船がたくさんの人たちを乗せて出港して行った。自転車を引いた高校生。バイクに乗った若者。大きな荷物を持ったおじいさん。離島を結ぶ定期船の発着風景は、絵になると思った。

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 15時50分発「壱岐郷ノ浦行」ジェットフォイル「ヴィーナス」に乗船した。250人を超える人が乗船できる船である。乗船した人は50人ほどだった。定刻になり、船は出航した。出航風景はいつもと同じだった。舳綱が外され、船は岸壁をゆっくりと離れた。港から出た所で雰囲気が変わった。速度がどんどん増し始めたのだ。客室の壁のスピードメーターが、「ただ今の速度は60km」と表示していた。しばらくすると「84km」という表示になっていた。この船が、高速道路を走る速度で走っているのには驚いた。博多の町が遠くなり、玄海灘を走り出した。今日はかなり強風が吹いているようで、白波が立っているのが見える。船は時折、大きく横揺れしたが、快調に海の上を進んで行った。
 
 17時少し前、「まもなく郷ノ浦港到着です」という案内放送が入った。前方に壱岐の島が大きく見えて来たが、まだ船はスピードを落していなかった。「シートの安全ベルトを締めてください」という案内も入る。飛行機の着陸時と似た雰囲気だった。

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 郷ノ浦港は大きな港だった。ターミナルの前にはタクシーがたくさん並んで、客待ちをしていた。前方には大きな橋が見える。まだできたばかりのようだ。「莫大な税金を投入して作った橋だぞ」という声が聞こえてきそうな感じだった。港の周りには、大きなホテルや旅館が並び、賑わっているように感じた。今日の宿は、港の近くにある「壱岐マリーナホテル」を予約していた。「ここから300mほど行った所にあるよ」とタクシーの運転手が教えてくれた。車がたくさん走る港の通りを歩いて行った。モダンな歩道も付いていて、「お金をしっかり使って整備しているよ」ということが、感じられた。
 
 「壱岐マリーナホテル」は小奇麗な白い建物だった。フロントでキーを貰い、部屋へ入った。「今日はツインしか空いていません」と言われて案内された部屋は、広くてこざっぱりしていた。窓からは港を出入りする漁船や大きな橋が見え、美しい景色だった。

 明日は、定期観光バスに乗って島内を見学する予定にしていた。予約を取るつもりで電話をすることにしたのだが、トラブルが発生していた。いつも持ち歩いている携帯電話が「ウンとも、スンとも」反応しないのだ。いくら、番号を押しても表示が変わらない。「どういうこと?」と画面を眺めている内、鍵の絵が点灯していることに気が付いた。携帯電話がロックされているのだ。盗難防止のためのロックなのだろう。このロックを解除するには暗証番号があるのだろうが、それは全く記憶がなかった。携帯電話をあきらめ、部屋の電話で、バス会社に電話した。「1日コースは明日運行します。9時までに郷ノ浦本町バスターミナルへ来てください」と案内があり、予約が取れた。しかし、携帯電話が使えないとこれから不便になりそうだ。「ひょっとしたら、この島にドコモの店があるかも知れない。あれば、直してもらおう」と思い、散策を兼ねて出掛けることにした。
 
 ホテルから少し歩いた所に銀行や郵便局、商店街などが並ぶ中央通りがあった。人もたくさん歩いていて賑わっていた。壱岐には35000人の人が住んでいるという。全島は四つの町からなり、郷ノ浦町が一番人口が多く、島の商業の中心地になっているようだ。壱岐交通のバスターミナルもすぐ見つけた。明日はここから定期バスに乗ればよい。細い路地にも店が並んでいる。都会では歴史のある商店街が寂れて、困っている所が多いが、この町は、そんなことはないように思った。
 
 信号機のある交差点の所で、ドコモショップを見つけた。さっそく店に入った。「この携帯、動かなくなってしまったのだけど、直りませんか」と受付の若い女性に話掛けた。やはり、携帯がロック状態になり、番号がないと解除できないということだった。「初期化すれば直りますが、データ-が全て消えてしまいます。よろしいでしょうか」と女性は言った。携帯電話にデータ-を入れる方法もあるようだが、面倒で、データ-は1つも登録していなかった。「ええいいですよ」と答えると、あっという間に初期化作業は終了し、携帯電話が使えるようになった。「料金はいりません」と嬉しい言葉も貰い店を出た。これが私の住んでいる村だったら、絶対に修理してもらえなかった。壱岐は都会の島でよかったと思った。

  通りのベンチに座って人や車の流れを見ていた。車が引切りなしに通り、人もせわしなく歩いている。最初に抱いていた離島というイメージからはほど遠く、賑やかで活気のある町にやって来たようだ。

 居酒屋を見つけ、中へ入る。小さな店だが、2階が座敷になっているようだ。カウンターの席に「予約」と表示がある。「こちらへどうぞ」と若旦那がカウンターの隅の席を指差している。席へ付くとお上さんが、お絞りを持ってやって来た。「壱岐の海で獲れた美味い魚を食べにやって来ました」と言うと、お上さんが困った顔をした。「生憎ですが、今日は今から宴会が入っていて、コース料理を20人ほど調理するのです。コース料理は作れません。すいませんが店を替えてもらうしかありませんね」と若旦那も困った顔で言った。「えっ、お絞りを出してくれたのに、そんな殺生な」とは思ったが、あきらめるしかなかった。近くにある「三桝」という寿司屋を紹介してもらい店を後にした。

 「三桝」は大きな店だった。カウンターにはガラスの冷蔵庫があり、魚がたくさん並んでいた。広い座敷もあり、テーブルが10ほどある。どのテーブルにも小皿や箸が並んでいた。ここも今から宴会が始まる様子だった。「ここも今から宴会が始まるのですか。美味しい魚料理が食べたいのですが」と言うと、カウンターで調理をしていた親父さんから、「いいですよ」と快い返事が返って来た。前の店で断わられた話をすると、「卒業や転勤の時期でしょう。毎日のように送別会が開かれているのです。今日もここで送別会がありますが、もちろんお客さんには美味しい魚を食べてもらいますよ」と親父さんが威勢のいい声で言った。
 
 3000円のコース料理を注文した。焼酎を頼んだ。壱岐は麦焼酎発祥の地で、美味しい焼酎がたくさん作られているという。店の棚にもいろんな種類の焼酎が並んでいた。「壱岐の華」という銘柄の焼酎が出て来た。透明の焼酎だった。日頃飲んでいる焼酎とそれほど違いがないように感じた。突出しは、「メカブのたたき」だった。醤油味が付いていた。とろとろの昆布を食べているという感じだが、酒の肴には持って来いの料理だった。続いて、「青海苔をまぶしたミズイカ」が出て来た。この辺りでは、アオリイカのことをミズイカと呼んでいるそうだ。イカだけでもコリコリして美味しいのだが、青海苔の香りが口の中に広がって春を感じさせてくれる味だった。主采の刺身が出て来た。「タイ、ヒラマサ、ミズイカ、イカの軟骨、オコゼの肝」が皿に盛られている。どれも新鮮で申し分ない。焼酎のお代りする。出て来たのは、琥珀色の焼酎だった。「これも壱岐の華です」と親父さんが言った。「壱岐の華」というのはどうやら酒蔵の名前のようだ。濃くのある美味しい焼酎だった。少し酔いが回って来たようだ。すきっ腹に飲んだので、酔いが早いようだ。続いて出て来たのが「タイのアラ煮」だった。脂がしっかりのり、ギラギラと煮汁が光っていた。
 
 豆腐とサザエの醤油煮が出て来た。変わっていたのは、豆腐だった。弾力があり、箸で押してもなかなか形が崩れない。「ここの豆腐は固いですね」と言うと「壱岐の豆腐はみんなこうですよ。豆乳が濃いですからね。美味しいでしょう」と親父さんが笑っていた。口の中へ入れても噛みごたえのある豆腐だった。焼酎をお代わりし、すっかり酔っ払ってしまった。腹も満腹になり、店を後にした。

 酔った勢いで、最初に行って断られた居酒屋で、飲み直した。酔っ払いはこれだから始末が悪い。居酒屋の宴会は終わっていた。何を頼んだのか、よく覚えていないが、カウンター席の美しい女性客の話を聞いていたような気がする。「あんたね。昨日はそうとう酔っ払って、夜遅く電話して来たね。ろれつが回っていなかったわよ。これからはそういう電話はして来ないでね!」と翌朝、上さんに電話でしっかり怒られてしまった。「旅先での恥の掻き捨て」という諺もあるが、「酒は飲むべし飲まるるな」がやはり私にはぴったりしているようだ。この日は、酒に飲まれてしまっようだ。




[ 2013/02/21 09:54 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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