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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡かいわいの昔ばなし  その1 寺津の河童の話      富山市寺津

寺津の河童の話      富山市寺津
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むかし、この 寺津(てらづ)の村(むら)に、ひとりの おじいさんが すんでいました。一日(いちにち)の しごとを おえた おじいさんは、かわいがっていた 馬(うま)のからだを、ゴシゴシ、川原(かわら)で あらって やったあと、しばらく、夕(ゆう)すずみを させていました。
やがて、日(ひ)は 西(にし)の山(やま)へ しずんで いきます。「さあ、今日(きょう)も ごくろうさん だったな。家(いえ)に かえって、どっさり うまいものを 食(た)べさせてやるぞ。」と、おじいさんは 馬(うま)のたづなを とりました。
たづなのさきは、川(かわ)の せの方(ほう)に のびて、ゆらゆらと ゆれていました。
おじいさんは、たづなを ひょいと たぐりよせましたが、いつもと 手(て)ごたえが ちがいます。
「おやっ。」と思(おも)いながら、こんどは 力(ちから)いっぱい たぐりよせますと、たづなと いっしょに、河童(かっぱ)の 子(こ)どもが 「フンギア。フンギア。」と、泣(な)きながら ひきよせられました。きっと 馬(うま)を、川(かわ)ぞこに ひきこもうとしたに ちがいありません。
河童(かっぱ)は ずいぶん 長(なが)い間(あいだ)、水(みず)から 頭(あたま)だけを 出(だ)して、馬(うま)を ねらっていたらしく、力(ちから)のもとになる 頭(あたま)のさらが、からっぽに なっていました。
そこを、おじいさんに、ふいに ひっぱられ、たづなに、体(からだ)のどこかが、もつれて しまったらしいのです。
おじいさんは、「このいたずらものめ!」とばかり、こらしめのために、台所(だいどころ)の はしらへ 鉄(てつ)のくさりで しばっておきました。
そのばんの ことです。おばあさんが ごそごそ おきてきました。台所(だいどころ)で 水(みず)が 飲(の)みたくなったのです。
おばあさんは、台所(だいどころ)で 水(みず)を飲(の)み、「おまえは、また、ばかなやつじゃ。」といって、なにげなく、ひしゃくで コツンと 河童(かっぱ)の頭(あたま)を たたきました。
さあ たいへんです。その時(とき)、河童(かっぱ)の 頭(あたま)のさらに、ひしゃくの 水(みず)が 入(はい)ったのです。河童(かっぱ)は たちまち あばれだし、くさりを 切(き)って、いちもくさんに、にげてしまいました。
しかし、この河童(かっぱ)は、なかなか れいぎ正(ただ)しく、ごおんをしる 河童(かっぱ)で あったらしく、これからのち、毎年(まいとし)のように、サケや アユなど きせつの魚(さかな)を、台所(だいどころ)の かけ木(ぎ)に かけていきました。
おばあさんは、だんだんと、よくばりになって、せっかく 持(も)ってきて くれるのだからと、大(おお)きな 鉄(てつ)のカギを いくつもかけ、もっと、もっと、たくさん 魚(さかな)を かけることが できるように いたしました。
ところが、河童(かっぱ)は、前(まえ)に 鉄(てつ)のくさりで、しばられたことが ありましたので、鉄(てつ)をみると、びっくりして 二度(にど)と あらわれなくなったということです。
                                                   民話出典「大沢野ものがたり」
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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