水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡かいわいの風景  その40   坂田金時と薄波のゆかり  富山市薄波

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その40   坂田金時と薄波のゆかり  富山市薄波

坂田金時さまは幼名を怪童丸といい大力の持主でした。天延四年(九七六)という大昔のことです。金時さまは当時、武勇の誉の高い源頼親さまの家来になり、渡辺綱・碓貞光・卜部季武等と共に四天王といわれるようになりました。
その頃、平安の都では大江山の酒呑童子という鬼が夜な夜な出没してあばれ廻り、都の人を苦しめていました。朝廷では頼道さまにそれを退治するようお命じになりました。頼道さまを御大将とし、家来の四天王と平井保昌さまの六人で酒呑童子の征伐に向かわれ、遂に成功し日本中にその名を響かせました。
それから後、金時さまと渡辺綱さまたちが協力して近江国の飯ケ峰で賊と戦い、越中国に引き揚げました。綱さまは八尾の布谷に、金時さまは大沢野の薄波に落着かれてこの地を治め、長く栄えられたということです。
現在、薄波の部落は転居して無人の里となっています。代々の坂田家には、鎧、兜、刀、槍などが伝えられてきたそうです。今は「金時像」と称する掛け軸しか残っていないということです。
〝はるか平安の昔をいろどった坂田金時のいさぎよい魂と夢は、この山里の何処に潜んでいるのだろうか。長棟川の流れは満々として去って還らず〟
      平成七年七月吉日  大沢野観光協会
      富山市吉野に接地してある大沢野観光協会案内板より
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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