水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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神通峡かいわいの昔ばなし  その60   下伏の大蛇と蛇骨  富山市黒瀬谷

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その60   下伏の大蛇と蛇骨  富山市黒瀬谷

神通川の対岸黒瀬谷地区の下伏部落に田池というところがある。昔ここは湖で周囲は二キロメートルぐらいあった。そこは大蛇が棲んでいて、つねに濃霧を吐いて付近は昼なお暗かった。
永禄二年(一五五九)の秋、ここからほど近い城生(八尾杉原)の城主に斉藤長門守がいた。家来に大蛇の出現をたしかめさせて、その翌春、弓の名手の奥野というさむらいに退治するよう命じた。奥野は勇躍して下伏におもむき、大蛇の出現を待ってみごとに射殺してしまった。同時に濃霧も四散して、それ以来すっかり明るくなった。長門守は大いにその功を賞した。
その後富山の城主神保氏張、佐々成政が兵を合わせて城生城を攻めたとき、怪しい雲が城中にたちこめて守るすべがなく、間もなく落城した。これはひとえに大蛇を討ったたたりだといいはやされた。
その後この池はかれて田になった。いまもその真ん中に深い深い溜まりが残されている。なおこの付近一帯に貝の化石が散布する。これを付近の人たちは、そのとき退治された大蛇の骨だと信じていた。蛇骨といってこれを粉末にして煎じて飲むと、オコリや淋痛に特効があるといわれていた。
またこの説話から城生はひとつに蛇尾と書かれたこともあった。
越中伝説集
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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