その15 泉増院 南区笠寺町現存する笠覆寺十二坊の一つである。
本尊は,真言密教,最高にして最勝の尊格をもつ大日如来。近年,大仏師松本明慶作の薬師如来も造立された。境内にある「玉照姫」像は,泉増院第七世住職實道が夢のお告げを受けて造像し、笠覆寺(笠寺観音)境内に堂を建てて祀った。同時期に隣り合わせに「白山社」も建立されておりそちらは現存している。(『尾張名所図会』)
その後、堂の老朽化のなかで,像は明治15年に泉増院に移され,その後は秘像とされて現在に至る。また、姫の夫である藤原兼平の像は「常ハ泉増院ニアリ」とされ、江戸時代に笠寺観音に一度出開帳を行ったことが記録されている(笠寺宝塔出現絵詞伝;市博物館刊)。現在の堂は昭和9年、泉増院の大檀家であった小菅剣之介氏によって再建されたものである。(氏は事業でも成功をおさめ、笠覆寺境内に「手水舎」を寄進したり、笠寺小学校のかつての講堂も寄進したりしている。また、将棋の世界でもその名を残した人物である。)
泉増院には,笠覆寺の塔頭寺院(子院)「十二坊」の一つ「慈雲院」の山門が移築され,今もその名残をとどめている。(参考;「笠寺観音」小川金雄著)
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