水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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笠寺観音かいわいの歴史探訪   その20   行者堂

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その20   行者堂    笠寺観音境内

西門を入るとすぐ左側に建っているのが「行者堂」と呼ばれるお堂である。こぢんまりとしているが、風格がある。寺の沿革史によれば、享保三年(1718)西方院第九世儀通再建とある。
行者堂には「神変大菩薩」が奉られていて、「神変大菩薩」と印された幟が何本も立っている。幟は「じんべんだいぼさつ」と読み、役の行者(えんのぎょうじゃ)という修験道の別名だということが分かった。役の行者は、飛鳥時代から奈良時代(1300年ほど前)に実在した人物で、いろいろな伝説が残る修験道の開祖であるという。

「役の行者」の伝説
役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。
役行者は、流刑先の伊豆大島[注 3]から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われている。富士山麓の御殿場市にある青龍寺は役行者の建立といわれている。
また、ある時、日本から中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で五百の虎を相手に法華経の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいて、道昭に質問したと言う。

インターネット「Wikipedia」より
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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