水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

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笠寺観音かいわいの歴史探訪  その37 富部神社

富部神社

その37 富部神社  南区呼続町四丁目

由緒
創建は慶長8年(1603年)、清洲城主松平忠吉が今より西にあった素盞嗚尊を祀る祠を現在の地に移したとも、津島神社より牛頭天王を勧請したともいわれる。
松平忠吉が病に悩まされていた時、富部神社に祈願したところ回復した。その報恩のしるしとして慶長11年、本殿、祭文殿、回廊、拝殿を建て、神社の東に神宮寺として海雲山天福寺を建て、社領百石を寄進した。
明治になると神仏分離令により天福寺は廃され、本社は祭神を素盞嗚尊とし存続した。明治11年(1873年)、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、菊理姫命を合祀。
「富部神社―Wikipedia」

桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財に指定され、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されている。
「富部神社ホームページ」

慶長8年(1603)に津島神社の摂社の蛇毒(じゃどく)神社を勧請し、天神山に祀ったが、慶長11年(1606)に清洲城主松平忠吉が病気平癒のために現地に移して社殿を造営したという。
本殿は、平成7年(1995)の本殿解体修理の際に背面の内壁から棟札16枚が発見され、それによると、慶長11年(1606)に松平忠吉を願主とし、大工は尾州春日井郡の澤田庄左衛門、勢州朝毛郡の村田喜左衛門により造営されたことが知られる。社殿は、拝殿、祭文殿および廻廊、本殿を一列に並べるなど、当地方の神社形式である尾張造で配置されている。
本殿は、一間社流造、檜皮葺であるが、背面は3間となる。規模は間口3.887m、奥行4.676mである。主屋の正面と側面には高欄付の廻縁をめぐらし、側面後端には脇障子(わきしょうじ)を立て、正面には木階7級を置き、下に浜床(はまゆか)を張る。主柱は丸柱で、組物に三斗組をおき、正面柱間では格子戸を入れる。内陣正面には両開き板扉をつる。妻飾りは扠首組(さすぐみ)である。庇柱は角柱で、組物には連三斗、中備に蟇股(かえるまた)を用いる。内方には手挟(たばさみ)を入れる。本殿には弁柄漆(べんがらうるし)で塗られ、格子戸に黒漆、脇障子の鶴と松の絵柄、本蟇股や手挟の植物彫刻には鮮やかな彩色が施され、江戸時代初期の華やかな特徴が見られる。(沢田多喜二)
「富部神社本殿―文化財ナビ愛知」
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プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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