
午前10時過ぎ飛騨市神岡へ上さんの車を借りて出発した。天気はいいが強風が吹いていた。神岡も強風が吹いていると少し辛いが、山間の町だから風は大丈夫だろう。
国道は空いている。車の流れに乗って神岡まで突っ走った。途中の紅葉を眺める余裕は全くなく、25分ほどで神岡の道の駅に到着した。
まずお目当の朝市の野菜売り場に行った。美味しそうなカブが並んでいる。カゴいっぱいにカブを買っている人が何人もいた。大きな赤カブが1束100円である。手が出るのも仕方ない。私も美味しそうな赤カブを1束買った。お目当のキノコも見つけた。シイタケとムクダイというキノコが並んでいた。ムクダイは以前食べたことがあったので両方とも購入した。合わせて350円だった。今晩はキノコ鍋になりそうだ。
道の駅にはノーベル賞受賞が決まった梶田隆章さんの受賞祝いのステッカー、新聞、受賞の寄せ書きなどが展示されていた。カミオカンデがまたまた世界から注目されている。神岡はこれで元気にならなければいけないのだが、道の駅の雰囲気は以前に比べると活気がないように感じた。これも日本経済が落ち込んでいるからだろうか。
車を神岡城の駐車場に止め、神岡の町を散策した。急坂を下り、最初に行ったのが藤波橋である。藤波橋横の葉桜が紅葉真っ盛りだった。藤波橋から上流の風景は、何年か前に描いた風景そっくりだった。
藤波八丁の散策路を上流に向かって歩いた。落ち葉が絨毯のように積もっていた。
神岡大橋まで歩き、帰りは朝浦八幡宮の横の道を通って城まで戻ることにした。以前水彩画を描いた急坂のところを通った。真冬の道でスケッチしていたあの時のことを思い出した。この坂道には電熱線が埋めてあり、不凍結になっていると土地の人が自慢していた。今もこの道には電熱線埋まっているのだろう。
藤波橋からお城へは急坂が続いたが、日頃のトレーニングのおかげで何とか上り切ることができた。体力はかなり戻っていると確信できた。もう大丈夫のようだ。
車に乗車。神岡のバローの横にある食品店を覗いた。この店にも地元産の野菜が並んでいる。やはりあった。高山産のナメコと地元産の天然ナメコを発見、これで今夜の夕食はキノコ鍋に決定した。
時刻は12時、昼食は以前お世話になった喫茶店で食べることにした。久しぶりに覗く喫茶店だ。ドアを開け店の中に入った。雰囲気が少し変わったように思ったが、カウンターの席に座った。残念ながらお上さんの姿は見えなかったが、奥で調理をしているのだろうと思った。
日替わりランチはカツ丼なので敬遠し、メニューから無難なビーフカレーを選んだ。野菜サラダもつけてもらった。しばらくして美味しそうなカレーが届いた。食べ始めたが、お上さんはなかなか奥の部屋から現れないので、カウンターの若い女性に「お上さんはいるの」と聞いた。何と、目の前の女性が「はい、私がお上です」と答えたのである。
いろいろ話してみて分かったのだが、お上さんは何年か前にこの店を廃業したとのことだった。息子さんを亡くされたことが一番辛かったそうだ。その後この店は二転三転したが、最近ここで喫茶店を始めたのが目の前の女性だったということだ。お上さんは、今は元気に別の所で働いているとのことだった。想像もしていない結果を知らされた昼食になった。
旧奥飛騨温泉口駅にある「あすなろ」に寄ってコーヒーを飲んだ。この店も水彩画展の時にはいろいろとお世話になった。店の雰囲気はそのままだったが、宮原さんの水彩画は一枚もかかっていなかった。残念だった。たぶんこの店のお上さんだと思う人が調理場で忙しそうに働いていた。声を掛けようかとも思ったが、私がお上さんの顔を忘れているようでは仕方がない。私はもう知らない人になってしまったような気持ちになり、声を掛けるのは止めた。時が経つということはそういうことなのだろう。土産にモカコーヒーを買った。
店の外の旧飛騨温泉口駅ではレールマウンテンバイクに乗るお客さんで賑わっていた。近々このマウンテンバイクを主人公にしたテレビドラマも始まる。この駅には活気が溢れていた。
帰りに神岡のバローに寄って、土産になりそうな漬け物を買い、爆速するトラックの後ろに付いて走り、我が家に午後2時に到着した。素晴らしい紅葉を楽しんだ神岡町小旅行だった。
夕食は、今日買ってきたキノコがふんだんに入った鍋だった。ムクダイというキノコは香りはないが食感がぬるっとしていて美味しかった。シイタケと天然ナメコはほんのり香りがありこれも美味しかった。今日の夕食はご飯をお代わりもした。キノコ鍋はこれからも食べてみたい料理のひとつになった。