水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記 TOP  > 

加賀沢の史跡・見学ポイントガイドブック

KAGASAWA0.jpg

はじめに 加賀沢の史跡・見学ポイントの紹介地図

加賀沢史跡見学ポイント紹介最終印刷本02のコピー

P4 旧飛騨街道の野仏 
 
 加賀沢集落北の旧街道沿い、鉄道線路の防壁の裏の大きな岩の下に、三体の野仏が鎮座している。その一つが、文政元年(一八一八)と銘のある浮彫聖観音立像である。 他に浮彫子安観音坐像と弘法大師坐像がある。

KAGASAWA1.png
浮彫聖観音立像

KAGASAWA2.png
浮彫子安観音坐像

KAGASAWA3.png
弘法大師坐像


P5 立岩
 
 集落から約百メートルの宮川の真ん中に大きな岩が柱のように立っている。周りの流れはゆるく淵のようになっていて鮭や鮎
の休み場になり、素潜りしてヤスで捕る漁場であった。集落ではこの岩のことを立岩と呼んていた。
 猪谷駅から六キロも歩いて、職場、学校に通い疲れ果てている時、立岩を見て、「やっと帰った」と安堵する懐かしい岩なのであ
る。  「細入村史」

KAGASAWA04.jpg
宮川にある「立岩」
※立岩の高さは、水底から十一・一メートル、一億七千七百五十万年前( 中生代ジュラ紀)に変成した飛騨片麻岩であることが、杉谷和男氏の調査によって明らかになった。


P6 白山社
 
集落の真ん中ほどに今も鳥居とお堂が残っている。このお宮さんには、興味深いエピソードが残っている。昭和四十七年( 一九七二)八月のこと、美術文化研究会宮川村調査班が、この白山社を訪れ、拝殿の奥にかかっている紫の幕を上げたところ、円空仏五体が埃にまみれて鎮座しているのを発見した。
 この発見がきっかけとなり、蟹寺・猪谷・庵谷の集落で円空仏の発見が続き、細入村内で円空仏二十四体の発見につながったという。加賀沢白山社の五体の円空仏は、現在、猪谷関所館のロビー正面に展示されている。 
「細入村史」

KAGASAE5.png

発見された円空仏

KAGASAE7.png
白山妙理大権現 総高(51.7㎝)

KAGASAE8.png
白山金剛童子 総高(26㎝) 
KAGASAE6.png
観音像総高(11.2㎝)  虚空蔵菩薩 総高(16.2㎝) 白山不思議十万金剛童子 総高(26㎝) 


P8 猪谷小学校加賀沢分校跡 
 
 小学校のあった所は、樹木が生い茂り、見つけることが困難だが、白山社の南側にあったと地図に記されている。
 明治四十五年( 一九一二) 猪谷小学校加賀沢分教場として、民家の一部を借りて開校された。大正二年( 一九一三)、白山社参道南側に新校舎ができ、岐阜県東加賀沢の児童も受け入れた。大正末期に二階建に改築される。
KAGASAWA9.png

 昭和二十六年( 一九五一)、分教場より五十メートルほど南側に、新校舎が新築された。校舎一階は職員玄関と職員住宅として二間・児童玄関と体育室、裏側に台所と浴室、便所、二階は広い教室と職員室、資料室と小さいながら整っていた。その頃は、三十名ほどの児童がいた。昭和三十九年( 一九六四)、児童減少により廃校となった。
「細入村史」

KAGASAWA11.png

KAGASAWA10.png


P10 加賀沢の石仏群
 
 加賀沢集落南端の道路脇に、小さなコンクリートの建物があり、その中にお地蔵さんが九体並んでいる。
 明治四十五年( 一九一二) の分教場の建設時に、白山社の境内にあった地蔵堂を整理し、谷向いの地蔵様を含めて、こ
の場所にお堂を建て直し、集められたとのことだ。
 どのお地蔵さんも、新調したばかりの赤い帽子と前掛けを身に着けて、仲良く鎮座している。今も欠かさずお世話をし
ている人がいるようだ。

KAGASAWA12.png
加賀沢の石仏群


P11  加賀沢橋 

飛越国境にある飛騨加賀沢と越中加賀沢は、幕政時代から、宮川を舟で往復していた。昭和の初めごろ、初めて歩道橋が架かった。これが初代の加賀沢橋で、幅一メートルの木吊橋で、風の吹くたびに大きく揺れるので、番線を張って振り止めをし、安全
を保った。しかし、昭和二十年( 一九四五) 九月の大風で墜落した。その後もかろうじて橋を架け替えて利用していた。
KAGASAWA13.png
初代加賀沢橋

 昭和四十七年( 一九七二)、関西電力株式会社が新しく橋を架け替え、電力関係や山行きの人々が利用するようになった。これが二代目の加賀沢橋である。橋の幅員一メートル、延長六十メートル余、歩道橋鋼吊橋で、振り止めの番線を張ってはあるが、宮川の激流を下に見れば、目もくらむばか11りであった。
KAGASAWA14.png
二代目加賀沢橋

 現在の加賀沢橋は、平成十二年( 二〇〇〇)、国道三六〇号線の小豆沢~蟹寺間が大きく改修された際に、加賀沢トンネル入口に、鉄筋コンクリートの立派な橋として生まれ変わった。
「宮川村誌」 「細入村史」参照
KAGASAWA15.png
現在の三代目加賀沢橋


 P13 国道三六〇号線バイパス道路

 国道四一号線が通る神岡~数河高原~古川のコースは、高低差が大で急坂が多い。一方、国道三六〇号線は、県境付近では急坂はないが、宮川の深V字谷に沿って屈曲し、しかも道幅はきわめて狭く、車がすれ違えない所も数多くある。
 このような宮川沿いの交通難所を解消するための努力は、平成元年(一九八九)から本格的に進められた。富山県側の加賀沢
~猪谷間四・五キロメートルは富山県が細入トンネル建設と道路改修を、岐阜県側の加賀沢~小豆沢間二・三キロメートルは国
が直轄事業として、改修工事を進めた。
 平成十二年(二〇〇〇)八月二十八日、「国道三六〇号バイパス 細入バイパス・宮川細入道路」が完成し、開通式が行われた。
 新しくできたバイパス道路は、要所をトンネルでつなぎ、橋は冬期間でも安心して通行できるシェルター構造になっている。北から越路・加賀沢・飛越と三つのトンネル、その他六つの橋が新設された。道路はほぼ直線状となった。
 「細入村史」

KAGASAWA16.png


P15 東加賀沢集落跡記念碑
 
 加賀沢橋を渡り、加賀沢トンネル手前の道を上っていくと東加賀沢集落跡(岐阜県飛騨市宮川町)に着く。
 現在、東加賀沢集落があった所には、記念碑が建てられ、小さな公園になっている。記念碑には、「ふるさとに想う」という題で、次のように刻まれている。
 「先人達がいつごろからか、この人里離れた小さな斜面の土地を切り開き、家族同様に住民が寄り添い、永住の地として生活していた。しかし冬期間、交通が遮断され孤立状態となり、病院、学校その他あらゆる面で不便を痛感した。
 昭和三十年から四十年代にかけて不安と動揺を感じながらも子供の将来を考え、住民それぞれが離村を決断した。 
 平成十二年( 二〇〇〇) に国道三百六十号 小豆澤~蟹寺間が改修され、加賀澤の地形が大きく様変わりした。このため、人々の記憶から忘れられることがないよう加賀澤住居跡地に石碑を建て後世に申し伝えることにする。 平成十二年( 二〇〇〇) 八月建立」
東加賀沢に住んでいた人たちは、「加賀沢会」を組織し、年に一度、富山市に集まり、故郷を偲んでいる。

KAGASAWA17.png

KAGASAWA18.png


P17 不動滝 
 
 東加賀沢、宮川右岸の渓谷にかかる垂直の瀑布のことをいい、幅五メートル、直下五十五メートル余。水は流れて直ちに宮川に
注いでいる。この滝へ続く道は、今は閉ざされてしまった。
 不動滝は、西加賀沢地内水上橋から、越中西街道を蟹寺方向へ二十分ほど歩いた所から眺めることができる。
 屹立した付近の山容と相まって美観を呈し、特に夏秋の眺めがよいので知られている。 高山本線の窓から対岸にその全容が眺められ、奥飛騨の旅情をそそるのもまた一興である。
 明治・大正の頃、この滝の上に、建坪九坪余の拝殿があり、不動尊を安置していた。昔より、眼病の霊験著しく、また養蚕守護の神として参詣者も多かった。しかし、その後、二回の火災に見舞われ、かつ交通も不便なため、本尊は巣納谷の久昌寺へ移し、現在に至っている。
 「宮川村誌」

KAGASAWA19.png


加賀沢の歴史

 猪谷から国道三六〇号線を走り、二六二〇メートルの越路トンネルを抜けて、しばらく行った所が、「加賀沢」である。現在は無人の集落ではあるが、家が一軒残っている。昔からこの地に住む持ち主の家で、夏場には、避暑に訪れているという。
「蟹寺から宮川を遡ること四キロメートル、宮川左岸のわずかな傾斜地に、国境の小村『加賀沢』がある。江戸時代から明治期にかけて九戸の村であった。『カガ』という地名は、草地に由来するという説と、崖地に由来するという説がある。
 対岸の岐阜県側にも加賀沢という集落があり、細入側の西加賀沢に対して、東加賀沢と呼ばれた」
「細入村史」

 岐阜県宮川村誌に、「東加賀沢」の地名の由来について記述があるので紹介しよう。
 「祢宜ケ沢上(ねががそれ)・小豆沢(あずきざわ)などのように、昔のこの地は沼沢地で、一面に野生の『蘿藦(ががいも)』がよく茂ったので『蘿藦沢(ががいもさわ)』とよび、それがしだいに転訛して加賀沢となったかといわれている。
 ががいもは山野に自生する宿根蔓草で、葉は対生し、夏のころ紫色五弁の小花をつける。実の長さは七、八センチでこれを採って綿に代用した。地名にはその地に生い出るものの名をもって、名付けたものが多く、たとえば、『古事記』上巻に天の蘿藦船(ががみのふね)を、『書記』には白藦皮舟(かがみのかわふね)とある。『和名抄』や『本草』に蘿藦(ががいも)は、一名藦蘭(かが)・和名加加美(かがみ)・白藦(かがみ)、夜末賀々美(やまかがみ)、徐長卿に和名比女加々美(ひめかがみ)などとある。」
「宮川村誌」
 
 その昔、この辺り一帯は、草が生い茂る沢地であったようだ。東加賀沢は、昭和三十九年( 一九六四) に廃村化している。
 
 「江戸期の加賀沢は、水田がなく、わずかな畑地と山や川の恵みに頼っての生活であったと思われる。細入谷の中でも、税率はとりわけ低く、街道の物資輸送に携わるほかは、平野部とほとんどかかわりのない生活が、そこに展開していたのであろう。国境といっても、このぐらい奥地になると、東加賀沢や小豆沢方面とは、日常的な往来が盛んであった。

 明治初期の加賀沢は、水上谷の南、街道の山側に家が並んでいた。
 明治二十年( 一八八七) 近くに飛騨街道が改修され、明治四十五年( 一九一二)に猪谷小学校加賀沢分教場ができた。これに伴い、対岸の東加賀沢からの委託児童も通学するようになったため、独立の校舎が大正二年( 一九一三) に建てられた。
これから以後、集落は様変わりし、道路の川側にも新しい家が建てられた。一時、黒鉛が掘られたこともあった。

 この状態は昭和三十年代まで続いたが、昭和三十九年( 一九六四) に加賀沢分校が廃止され、このころから急激に挙家離村が進むようになる。…そして、加賀沢は村落社会としての機能を全く失ってしまった。その離村先の多くは、富山市・大沢野町方面であった。」
「細入村史」

 江戸時代の頃の加賀沢
KAGASAWA20.png

村田長保筆  「細入村史」
[ 2016/08/28 19:43 ] 細入地域史跡紹介 | TB(0) | CM(0)

笠寺観音かいわいの風景

13438992_1608965892726747_4565826663952339977_n.jpg


13439148_1608964999393503_7119265376914528760_n.jpg


13439016_1609053962717940_1345114355643409833_n.jpg


13438915_1608965236060146_1137618647803282247_n.jpg


13438790_1608973562725980_6566904089922535829_n.jpg
[ 2016/08/07 09:34 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

水彩画展開催

水彩画展を開催しますので、お知らせします。

市民病院水彩画展はがき

[ 2016/07/04 19:12 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

「神通峡ふるさと創生物語」という住民グループを結成

2016 年6月8日の北日本新聞に、細入・大沢野地域に、「神通峡ふるさと創生物語」という住民グループが結成された記事が掲載されています。
神通峡と呼ばれるこの地域は豊かな自然に囲まれ、歴史は古く、いろいろな史跡や伝統文化が残っています。しかし、過疎化や高齢化が進み、文化や歴史などの継承がたいへん難しくなりつつあります。
「何とかしなくては」という思いに駆られた人たちが集まり、活動を始めました。自分たちの力でふるさとをこれからどう創り変えていくのか、ふるさと創生物語にふさわしい取り組みをしようと頭をめぐらし始めました。今回はその1回目、猪谷地域を散策します。
北日本新聞
[ 2016/06/09 17:00 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

楡原の史跡・見学ポイントガイドブック

楡原の学ポイントガイドブックを作りました。B6サイズのポケットブックで52頁です。これを持って楡原地域を歩けば、史跡や建物の説明があり、それ歴史がよく分かります。本は細入図書館・大沢野図書館・富山市立図書館に寄贈しました。そのうち公開されるのではないでしようか。

楡原史跡紹介ガイドブック表紙のコピー

本の内容を紹介します。

楡原の史跡・見学ポイントガイドブック

目次

①集落北の題目塔
②畠山重忠の石標
③ライスセンターと耕心碑
④楡原館跡
⑤畠山重忠の墳墓
⑥楡原八幡宮
⑦楡原中学校
⑧神通碧小学校
⑨行幸記念碑 
⑩住吉家丹後の局の墓 
⑪住吉遠山翁碑
⑫和みの家
⑬五輪塔群集積地
⑭集落中央の題目塔
⑮江尻家文書
⑯旧北部保育所跡
⑰北陸電気工業
⑱八幡社
⑲上行寺と三帰明王
⑳ほそいり保育所
㉑観光橋
㉒旧布尻橋橋脚
㉓旧役場跡と忠霊塔
㉔運送同業組合の碑
㉕藤井家東郷園
㉖楡原駅
㉗細入中核型地区センター
㉘布尻楡原大橋
㉙雨乞の滝
㉚シーテック細入
㉛集落南の題目塔
㉜楡原の衝上断層
㉝楡原山城
㉞楡原の地名の由来
㉟楡原の春季祭礼
㊱江戸時代の頃の楡原


楡原地図さいしんのコピー

以下をクリックすると、さらに詳しいガイドブックが見られます。
楡原史跡・見学ポイントガイドブック

これからも各各集落毎のガイドブックを作る予定でいます。岩稲集落、猪谷集落は近日中に完成の予定です。

[ 2016/05/08 19:23 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

改正版「笠寺の時刻表」完成

2016年4月のダイヤ改正に伴い、市バスとJRの時刻表がかいせいされました。 「笠寺の時刻表」ちらしを作り直しました。笠寺観音商店街の各お店に置きますのでご活用ください。


バス時刻201642 (2)


バス時刻201642 (1)
[ 2016/04/08 14:47 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

神通峡ふるさと歩行会のしおりを編集し本にしました

神通峡ふるさと歩行会の平成12年度・14年度のしおりを編集し、本にしました。本は富山市立図書館・細入図書館・大沢野図書館に寄贈しました。
10309645_1572346513055352_6941760151034186107_n.jpg

46312_1572346529722017_4070793975969028284_n.jpg

1689005_1572346536388683_2733415555448014382_n.jpg

10274246_1572346566388680_851885976872802589_n.jpg
[ 2016/03/21 17:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

「神通峡を訪ねて 第五集 岩稲かいわい」 完成

「神通峡を訪ねて第五集 岩稲かいわい」がようやく完成しました。取り掛かり始めて三年近くの年月がかかりました。途中私の病気で中断したことが最大の理由でしたが、病気も徐々にではありますが、回復し製本にこぎつけました。富山市立図書館、富山県立図書館に寄贈したいと考えています。

iiwaine.jpg

目次

iiwaine2.jpg

iiwaine4.jpg

iiwaine3.jpg

iiwaine5.jpg
[ 2016/02/26 19:07 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

笠寺観音ガイドブック完成‼

笠寺観音の建物や石碑などを紹介するガイドブックをもんぜん亭の皆さんのご協力により完成しました。この1冊があれば、笠寺観音の歴史や建物、石碑などが詳しく理解できます。
節分に間に合わせようと製本作業を頑張り80冊完成させ、かんでらMONZEN亭に送りました。節分には笠寺観音商店街で販売されます。なお、代金の一部は笠寺観音再整備事業に寄付されます。

笠寺観音ガイドブック(修正)表紙のコピー

笠寺観音ガイドブック野原修正_0001_0001のコピー



[ 2016/01/26 13:58 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

2016年カレンダー

2016年カレンダーを作りました。
ご入用の方はダウンロードしてお使い下さい。
実物は2L判です。


2016カレンダー細入_0009_0001
2016カレンダー細入_0001_0001

2016カレンダー細入_0002_0001
2016カレンダー細入_0003_0001
2016カレンダー細入_0004_0001
2016カレンダー細入_0005_0001
2016カレンダー細入_0006_0001
2016カレンダー細入_0007_0001
2016カレンダー細入_0008_0001
2016カレンダー細入_0010_0001
2016カレンダー細入_0011_0001
2016カレンダー細入_0012_0001
2016カレンダー細入_0013_0001
[ 2015/12/26 15:58 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

がん乗り越え本製作 細入の佐田さん

2015年11月24日 22:15  北日本新聞web
b6bca0f1-2427-4f3e-920a-2585f067ecd1.jpg

■神通峡の民話まとめる

富山市楡原(細入)の佐田保さん(67)が、昨年見つかった食道がんを乗り越え、同市細入、大沢野地域に伝わる民話114編に挿絵を添えた本を自主製作した。抗がん剤の副作用に苦しみながらも入院中から編集を続け、手作業で製本した。 (大沢野・大山支局長 池亀慶輔)

佐田さんは名古屋市出身。同市で小学校教員として働き、旅好きが高じて52歳で退職した。妻の陽子さん(66)の実家がある旧細入村楡原に移り住み、デザイン会社を営む傍ら全国各地を旅して水彩画を描いた。
細入村史にある伝説に魅了され、多くの人に知ってもらおうと、伝承を掲載した小冊子をJR猪谷駅や富山市猪谷関所館で無料配布。絵本も手作りした。

昨年11月、急に食べ物が飲み込めなくなった。医師にがんを指摘され「生存率は3分の1」と言われた。市内の公的病院に入院し、抗がん剤と放射線による治療を受けた。
ことし3月までの入院で体重は20キロ近く減った。気だるさや微熱に悩まされる日々。しかし、「まだ紹介できていない民話がある」と決心し、これまでの集大成として本を作ることにした。
病室へのパソコンの持ち込みは禁止。知人から借りた資料を基にスマートフォンで原稿を入力した。資料はいずれも地元の有志によるもので傷みが激しく「このままでは埋もれてしまう」と危ぶんだ。スケッチブックも持ち込み、民話の情景を鉛筆や筆ペンで描きためた。

今回作った本のタイトルは「昔話集 神通峡かいわい」。引用元を明記した上で、これまで小冊子や絵本にしていなかった約50編を新たに加えた。てんぐやカッパが登場する不思議なストーリー、地名の由来などを収録している。A5判232ページ。ことし9月に完成し、10月に地元の小中学校や図書館に贈った。
佐田さんは「神通峡の民話を残したい一心だった。子どもたちに知ってもらいたい」と話す。本に関する問い合わせは佐田さん、電話076(485)9103。
[ 2015/11/28 09:13 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

飛騨市神岡への小旅行 (10月27日)

fujinamihasiomote2.jpg


午前10時過ぎ飛騨市神岡へ上さんの車を借りて出発した。天気はいいが強風が吹いていた。神岡も強風が吹いていると少し辛いが、山間の町だから風は大丈夫だろう。
国道は空いている。車の流れに乗って神岡まで突っ走った。途中の紅葉を眺める余裕は全くなく、25分ほどで神岡の道の駅に到着した。

まずお目当の朝市の野菜売り場に行った。美味しそうなカブが並んでいる。カゴいっぱいにカブを買っている人が何人もいた。大きな赤カブが1束100円である。手が出るのも仕方ない。私も美味しそうな赤カブを1束買った。お目当のキノコも見つけた。シイタケとムクダイというキノコが並んでいた。ムクダイは以前食べたことがあったので両方とも購入した。合わせて350円だった。今晩はキノコ鍋になりそうだ。

道の駅にはノーベル賞受賞が決まった梶田隆章さんの受賞祝いのステッカー、新聞、受賞の寄せ書きなどが展示されていた。カミオカンデがまたまた世界から注目されている。神岡はこれで元気にならなければいけないのだが、道の駅の雰囲気は以前に比べると活気がないように感じた。これも日本経済が落ち込んでいるからだろうか。

車を神岡城の駐車場に止め、神岡の町を散策した。急坂を下り、最初に行ったのが藤波橋である。藤波橋横の葉桜が紅葉真っ盛りだった。藤波橋から上流の風景は、何年か前に描いた風景そっくりだった。
藤波八丁の散策路を上流に向かって歩いた。落ち葉が絨毯のように積もっていた。
神岡大橋まで歩き、帰りは朝浦八幡宮の横の道を通って城まで戻ることにした。以前水彩画を描いた急坂のところを通った。真冬の道でスケッチしていたあの時のことを思い出した。この坂道には電熱線が埋めてあり、不凍結になっていると土地の人が自慢していた。今もこの道には電熱線埋まっているのだろう。
藤波橋からお城へは急坂が続いたが、日頃のトレーニングのおかげで何とか上り切ることができた。体力はかなり戻っていると確信できた。もう大丈夫のようだ。

車に乗車。神岡のバローの横にある食品店を覗いた。この店にも地元産の野菜が並んでいる。やはりあった。高山産のナメコと地元産の天然ナメコを発見、これで今夜の夕食はキノコ鍋に決定した。

時刻は12時、昼食は以前お世話になった喫茶店で食べることにした。久しぶりに覗く喫茶店だ。ドアを開け店の中に入った。雰囲気が少し変わったように思ったが、カウンターの席に座った。残念ながらお上さんの姿は見えなかったが、奥で調理をしているのだろうと思った。

日替わりランチはカツ丼なので敬遠し、メニューから無難なビーフカレーを選んだ。野菜サラダもつけてもらった。しばらくして美味しそうなカレーが届いた。食べ始めたが、お上さんはなかなか奥の部屋から現れないので、カウンターの若い女性に「お上さんはいるの」と聞いた。何と、目の前の女性が「はい、私がお上です」と答えたのである。

いろいろ話してみて分かったのだが、お上さんは何年か前にこの店を廃業したとのことだった。息子さんを亡くされたことが一番辛かったそうだ。その後この店は二転三転したが、最近ここで喫茶店を始めたのが目の前の女性だったということだ。お上さんは、今は元気に別の所で働いているとのことだった。想像もしていない結果を知らされた昼食になった。

旧奥飛騨温泉口駅にある「あすなろ」に寄ってコーヒーを飲んだ。この店も水彩画展の時にはいろいろとお世話になった。店の雰囲気はそのままだったが、宮原さんの水彩画は一枚もかかっていなかった。残念だった。たぶんこの店のお上さんだと思う人が調理場で忙しそうに働いていた。声を掛けようかとも思ったが、私がお上さんの顔を忘れているようでは仕方がない。私はもう知らない人になってしまったような気持ちになり、声を掛けるのは止めた。時が経つということはそういうことなのだろう。土産にモカコーヒーを買った。
店の外の旧飛騨温泉口駅ではレールマウンテンバイクに乗るお客さんで賑わっていた。近々このマウンテンバイクを主人公にしたテレビドラマも始まる。この駅には活気が溢れていた。

帰りに神岡のバローに寄って、土産になりそうな漬け物を買い、爆速するトラックの後ろに付いて走り、我が家に午後2時に到着した。素晴らしい紅葉を楽しんだ神岡町小旅行だった。

夕食は、今日買ってきたキノコがふんだんに入った鍋だった。ムクダイというキノコは香りはないが食感がぬるっとしていて美味しかった。シイタケと天然ナメコはほんのり香りがありこれも美味しかった。今日の夕食はご飯をお代わりもした。キノコ鍋はこれからも食べてみたい料理のひとつになった。
[ 2015/10/29 13:26 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

細入村の気ままな旅人の展覧会開催

「大沢野町福祉を考える会」の絵画展が富山市婦中町福祉センターで開催されています。今年は私の水彩画が展示されました。絵は全部で11点あります。神通峡かいわいの風景です。開催は10月25日までです。ぜひお出かけください。

12088553_1530450260578311_5236264068612144807_n.jpg
12107930_1530450217244982_2384344439844360642_n.jpg
12140554_1530450303911640_8934642891801569845_n.jpg
11008416_1530450333911637_2092824474922710695_n.jpg
[ 2015/10/21 16:32 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

笠寺観音かいわいを紹介するグッズ


第4弾 「ポストカードブック」を作りました!
私の水彩画の画集ですが、ハガキを一枚一枚外して使うこともできます。
12096362_1528885230734814_5628478886263843363_n.jpg


第1集 ポストカードで見る笠寺観音かいわい
笠寺観音かいわいの史跡の絵はがきを本にしました。

第2集 ポストカードで見る笠寺観音商店街かいわい
笠寺観音商店街かいわいのお店の絵はがきを本にしました。


10353020_1528885244068146_1523096990607456304_n.jpg
[ 2015/10/20 19:02 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

富山市楡原 JR楡原駅

nireharaeki.jpg


高山本線楡原駅、富山に引越した頃はこの駅は複線になっていてホームが二つあったが、やがて下りのホームが閉鎖され、今は一つのホームしかない。富山市と合併した頃、高山本線の増発実験と称して猪谷、富山間の普通列車が増発されたが、乗り降りするのは高校生や中学生ばかりで、実験も一年ほどで中止になった。
今も乗降客の姿は朝夕の通勤・通学時間帯にしか見られない淋しい駅である。
秋が次第に深まり線路脇の木々や雑草が色づいて来た。列車の窓から見た神通峡の紅葉はきっと最高だろうな。
[ 2015/10/20 09:58 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

富山市今生津  秋の神通峡



12107156_1529594480663889_400690343293401121_n.jpg


楡原集落から神通峡に架かる観光橋を渡り対岸の道を下流に向かって歩いて行く。ほとんど人や車が通らない細い道が続く。この道は旧飛騨街道である。今でも道端の所々に野仏が残っている。時々この風景を求めてやって来る人の姿を見るが、この地域はクマやサル、カモシカなどが出没する。最近も観光橋をクマが歩いていたという地域無線の放送が流れていたから、歩くには鈴や携帯ラジオは欠かせない。
秋が深まり、紅葉した山々が、静かな川面に移る風景は見事である。
[ 2015/10/19 17:06 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

富山市岩稲  秋の神通峡

DSC08131.jpg

今朝の富山市の最低気温は9度、細入は7度くらいではないでしょうか。部屋の中はストーブを焚いていますから暖かいですが・・・。
天気は快晴で、風もありません。ウオーキングには最高の日和です。山々の紅葉もさらに進み、黄色い色が見えるようになりました。今日は楡原から対岸の大沢野下夕地域の旧飛騨街道を下り、神通川第二ダムを渡り、岩稲を通って帰ってこようかなと思っています。ここに描いた風景が見られるのではないでしょう。帰りに楽今日館の温泉に浸かるのもいいかも・・・。
[ 2015/10/16 12:05 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

「昔話集 神通峡かいわい」完成!


私のFacebookに連載していた「神通峡かいわいの昔ばなし」を収録した本を手作りで製作していましたが、ようやく完成しました。

この本には、細入地域と大沢野地域の昔話が114編収録されています。布地張りハードカバーの厚い本になりました。細入と大沢野の小中学校や図書館に寄贈します。

11998923_1521537018136302_1625111381621003546_n.jpg


11904734_1521537054802965_4312022388016833437_n.jpg

昨日は、神通碧小学校、楡原中学校、ほそいり保育園に届け、喜んで受け取ってもらいました。
神通碧小学校では、四年生がちょうど昔話の教材に取り組んでいるところで、先生の机の上には、以前私が作って細入図書館に寄贈した昔話の絵本がたくさん積まれていました。今回製作した本も活用してもらえそうです。
[ 2015/09/12 17:23 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

気ままな旅人旅日記  魚津海の駅

魚津海の駅にて
アジが大きいのにはびっくりした。
11947687_1519097461713591_7141431003209627696_n.jpg

11896148_1519097475046923_1169449965958569390_n.jpg

11986392_1519094365047234_4020398361182253793_n.jpg

11796225_1519097488380255_8275381248685342817_n.jpg
[ 2015/09/04 05:01 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

気ままな旅人旅日記    9月1日の猪谷駅

11953112_1518492655107405_1796470304592873532_n.jpg

9月1日の猪谷駅

猪谷駅へ来ました。おわら風の盆を見物するためにやって来る観光客がそろそろ現れるのではないかと思ってやって来たのですが、それらしき人は数人しかいませんでした。
例年なら観光バスが駅前にやって来るのですが、今日は今のところ一台も来ていません。猪谷駅発の臨時列車も今年はなくなりました。北陸新幹線が開業し、観光客の流れが変わったようです。

11954803_1518492668440737_7773646725382790131_n.jpg

11951385_1518492685107402_8143239610652726452_n.jpg


[ 2015/09/01 20:51 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム