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水彩画で綴る  細入村の気ままな旅人 旅日記

団塊世代の親父のブログです。
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飛騨市宮川町の高原 池ケ原湿原の風景

四月末に訪れた池ケ原湿原の風景を水彩画で紹介します。
貴方も、ぜひお出かけください。

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[ 2021/05/21 08:16 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

飛騨市宮川町 春の種蔵


岐阜県の最北端、飛騨市宮川町の山あいにある種蔵集落。石積造りの棚田が広がり、その「雨上がりの石積み」が環境省のかおり風景100選に選ばれるなど、岐阜県内でもとくに見事な田園景観が広がる集落である。また、種蔵には21棟も板倉があり、石積みの棚田と板倉が出す農村風景はほかの棚田とはひと味違った印象で、ひっそりとたたずむといった言葉がぴったりの山里である。
春を迎え、田圃では田起こしが始まり、民家の脇にはこいのぼりが泳いでいた。何年か前に来た時と比べると、人の気配が途絶えた家屋が増えたのが残念である。高齢化の波が押し寄せているようである。

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[ 2021/05/03 14:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

飛騨市宮川町 「池ケ原湿原」

飛騨市宮川町にある池ケ原湿原を紹介します。
この風景は、2021年4月末に湿原を訪れた時のものです。
駐車スペースが広くなりましたが、依然あったトイレは閉鎖されていました。
湿原に来る途中の飛騨みやがわ考古民俗館前の仮設トイレを利用するしかありませんので、注意が必要です。

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[ 2021/05/03 05:11 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

2021年神通峡カレンダー原画展

飛騨まんが王国の食堂で、細入村の気ままな旅人の水彩画展を開催しています。
今回は、2021年神通峡カレンダー原画12点を展示しています。
ぜひお出かけいただき、ご覧ください。

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☟youtube で、原画を紹介します。






[ 2021/04/21 09:07 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

KNBテレビ「とやま情報局」の番組

神通峡地域での私の取組が、KNBテレビの番組「とやま情報局 3月28日」で紹介されました。 

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ここをクリックするとその番組が見られます。
とやま情報局
[ 2021/04/04 16:10 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

富山地鉄路面電車ペーパークラフト

今日紹介するのは、富山市内をはしる路面電車です。
一つは、富山ライトレールです。低床型の三両連結の路面電車です。経営が富山市から富山地鉄に移りました。もう一つは、レトロ調の雰囲気がする富山地鉄路面電車 7000 系です。

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☟ここをクリックすると、富山地鉄路面電車ペーパークラフトページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
富山地鉄路面電車ペーパークラフトへ
[ 2021/02/24 08:22 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

富山地鉄ペーパークラフト

今日紹介するのは富山地鉄電車ペーパークラフトです。
雄大な立山連峰を眺めながらの地鉄電車は素晴らしいです。

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富山地鉄電車 14760 系
富山地鉄電車 16010 系
富山地鉄電車16010 系レッドアロー号
富山地鉄電車 10030 系
富山地鉄電車 ダブルデッカーエキスプレス
富山地鉄電車 17480 系

☟ここをクリックすると、富山地鉄電車ペーパークラフトページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
富山地鉄電車ペーパークラフトへ


[ 2021/02/23 11:28 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

名古屋市電ペーパークラフト

今日紹介する鉄道模型ペーパークラフトは、名古屋市電の800系と1400系の2作品です。
1970年代の頃は、まだ市電が名古屋市内を走っていて、この電車に乗って学校に通っていたことを思い出し、懐かしくなって作りました。
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☟ここをクリックすると、名古屋市電ペーパークラフトページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
名古屋市電ペーパークラフトへ

[ 2021/02/20 08:20 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

名鉄電車ペーパークラフト3種類

今日紹介する鉄道模型ペーパークラフトは、
名鉄電車 3400 系 いもむし、
パノラマカー、
スーパーパノラマカーの3種類です。
名鉄電車にはたくさんの型の電車が走っていますが、作ったのは今のところ3種類のみです。

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☟ここをクリックすると、名鉄電車のペーパークラフトページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
名鉄電車ペーパークラフトへ



[ 2021/02/19 08:29 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

高山線を走る気動車のペーパークラフト

今日紹介する鉄道模型ペーパークラフトは、高山線を走る気動車です。
JR 西日本 キハ 120 系
JR 東海 キハ 25 系
JR 東海 キハ 85 系 「ワイドビューひだ」
JR 東海キハ 58 系 高山色
JR キハ 58 系 急行「のりくら」

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☟ここをクリックすると、JR高山線を走る気動車のページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
JR高山線を走る気動車のページへ
[ 2021/02/18 08:59 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

鉄道模型ペーパークラフト おくひだ号

今日紹介するのは、鉄道模型ペーパークラフトです。 最初につくつたもので、旧神岡鉄道を走っていた「おくひだ号」です。
このおくひだ号は、現在、奥飛騨温泉口駅に展示されています。
奥飛騨温泉口駅は、現在はレールマウンテンバイク「ガッタンゴー」の出発駅になっています。


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☟ここをクリックすると、おくひだ号ペーパークラフトのページに移ります。ダウンロードして印刷、試作してみてください。
鉄道模型ペーパークラフト おくひだ号へ

[ 2021/02/17 09:47 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

戸部新左衛門と戸部の蛙

今日紹介する福原伸二作「戸部新左衛門と戸部の蛙」は、織田家の家臣で、この地にあった戸部城主、戸部新左衛門の話です。
新左衛門は若かりし頃、道を通せんぼするものは、犬でも人でも片っ端から切り捨てたという城主でした。ある時一匹の蛙が道を横切り、新左衛門はこれを切ろうとしましたが、蛙の飛ぶ速さには勝てず、蛙が命拾いしたという逸話が残っています。
その後、戸部新左衛門は、今川義元に通じているという疑いをかけられ、信長に切腹を言い渡されます。その時の心境を、短編小説にしました。五部作最後の作品です。ぜひ御読みください。
福原伸五部作_戸部新左エ門と戸部の蛙01のコピー


☟ここをクリックすると本が読めます。
戸部新左衛門と戸部の蛙


[ 2021/02/16 08:42 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

福原伸二作 「蝉の穴」

今日紹介するのは、福原伸二作「蝉の穴」です。
旧東海道呼続に、宝珠山安泰寺があります。この境内には、戦国時代、織田信長の家臣佐久間信盛が城主であった山崎城がありました。
蝉の穴は、佐久間信盛が信長の叱責を受け、高野山に追われた時の信盛の心境を綴った短編小説です。ぜひお読みください。
福原伸五部作蝉の穴

☟ここをクリックすると本が読めます。
福原伸二作「蝉の穴」へ

[ 2021/02/15 05:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

福原伸二作「笠寺千鳥塚建立の秘話」

今日紹介するのは、福原伸二作「笠寺千鳥塚 建立の秘話」です。
笠寺観音の境内に、芭蕉の句碑が刻まれた記念碑が建っています。この碑は、松尾芭蕉が貞享四年(一六八七)あゆち潟を詠んだ句「星崎の 闇を見よとや 啼千鳥」が刻まれていることから、「笠寺千鳥塚」と呼ばれています。
この碑の底に、芭蕉遺品の手鏡が納められたという秘話をもとに、福原伸二さんが短編小説に書きました。ぜひお読みください。

福原伸五部作笠寺千鳥塚建立の秘話

☟ここをクリックすると本が読めます。
福原伸二作「笠寺千鳥塚建立の秘話」へ


[ 2021/02/14 11:31 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

福原伸二作 「笠寺観音人質交換記 徳川家康と岡崎衆との絆」

今日紹介するのは、福原伸二作 「笠寺観音人質交換記 徳川家康と岡崎衆との絆」です。
戦国時代、徳川家康がまだ幼少の頃、尾張織田家人質となっていました。今川家に人質になっていた家来との交換がこの笠寺観音で行われたという短編小説です。
最近のことですが、笠寺観音の境内には、それを祈念する碑も作られました。福原伸二さんの力作をお読みください。

福原伸五部作笠寺観音人質交換記 徳川家康と岡崎衆との絆01のコピー

☟ここをクリックすると本が読めます。
福原伸二作「笠寺観音人質交換記 徳川家康と岡崎衆との絆」


[ 2021/02/12 06:20 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

福原伸二短編小説 「講談 宮本武蔵 尾張笠寺逗留記」

今日紹介するのは、福原伸二作 「講談 宮本武蔵 尾張笠寺逗留記」です。
福原伸二さんは、住んでいた名古屋の笠寺に興味を持ち、笠寺の歴史を調べて、短編小説や昔話を書きました。
この作品は、闘病生活を送っている時に書いたもので、その時の心境が宮本武蔵に表現されています。

講談宮本武蔵

☟ここをクリックすると本が読めます。
福原伸二作 「講談 宮本武蔵尾張笠寺逗留記」へ

[ 2021/02/11 08:49 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

文山秀三著 「人生日記」

今日紹介するのは、文山秀三著「人生日記」です。
この作品は、文山秀三著「満洲物語」の続編で、兵役除隊から、終戦、戦後の生活を綴った自伝的小説の完結編です。
その中にある、富山大空襲について書かれた章を紹介します。

富 山 市 大 空 襲
 「絶対死守」と言われていたサイパン島の日本軍も「玉砕」し、沖縄も、米軍に占領された。制空権をほとんど米軍に奪われてからは、米空軍による日本各地での無差別爆撃が、毎日のように繰り返され、焼夷弾が、所構わず落された。我が国の主要都市は、次々に灰燼と化して行った。

 東京、大阪はもちろん、名古屋も、すでに焼夷弾による「絨毯爆撃」をされたことが報じられた。「富山のような中都市へは、まさか米空軍といえども、空襲には来ないだろう」との希望的観測が、一部にあった。それは、不二越という軍需工場はあるにせよ、軍事基地も、軍事施設らしい物も無かったからである。米軍による空襲が頻繁になってから、私は、工場の防衛隊の一員になっていた。五日に一回くらい、その夜は、工場で過ごし、防衛の任に当っていた。

 忘れもしない昭和二十年八月一日の夜半(正確に言うと八月二日未明になる)、中部管区司令部から、「米空軍B29(重爆撃機で、空の要塞と呼ばれていた)の大編隊が、伊勢湾に向い北上中」との警戒警報が発せられた。直ちに、灯火管制に入り、次の情報を待った。大編隊は、名古屋上空を過ぎても、北上を続けて、岐阜上空をも通過した。このまま北上すれば、富山市を目指していることは、誰にもはっきりした。サイレンは、けたたましく鳴り響き、人の動きも、夜半ではあったが、皆起き出て、それぞれの準備をしていた。防空頭巾を被り、非常食を持ち、防空壕へいつでも入れるように準備していた。

 米空軍は、日本軍の高射砲などには目もくれず、やがて、無人の野を行くように富山上空に到達し、旋回し始めた。その夜、私は、工場防衛隊の一員として、不二越の工場内に待機し、米空軍の行動を監視していた。兵器を持っていない私に出来ることは、火災を最小限度にくい止めることだけであった。防衛隊員の中には、自分の家が心配になって、こっそり工場を抜け出て、家へ帰った者もあったが、それらは、黙って見逃した。

 その内、B29から、照明弾が落された。富山市の町並みは、一瞬昼のように明るくなり、町並みを見定めた彼等は、風向きを知るために焼夷弾を落した。このテスト焼夷弾が風下に当ったことを確認した米軍は、旋回した後、南富山方面から、次々に焼夷弾による絨毯爆撃を開始した。B29の機数は、私が数えただけでも六十機に達していた。その一機毎に、三十六個のドラム缶のような形の容器を積み、その一容器毎に、百二十個の焼夷弾が入っていると聞かされていた(これの詳細は、別に調査し正確を期したい)。その時落 された焼夷弾の数は、その計算でいくと、旧富山市街地居住人口の二倍以上に当ることになる。

 炎暑の八月、空爆は凄まじかった。鈍い音をたてた後、焼夷弾が、シュルシュルと音と共に落下して来た。青白い炎が飛び散り、辺りはたちまち燃え広がっていった。紅蓮の炎が渦巻く中で、人々は、逃げ場を求めて走り出し、防空壕の中で避難していた者も飛び出した。しかし、どちらを向いても、火炎の中では、遂に、煙に巻かれて死んだ者も多かった。全く「阿鼻叫喚」と表現される「生地獄」が、富山市の各地で発生したあの時の有り様は、私にとって、永久に忘れ得ぬものの一つであろう。

 天が真赤に染まり、炎が百mの高さにまで燃え上った。米軍による悪魔の火は、富山市の家も木も草も電柱も(その頃、木柱だった)、その他の何物をも焼き尽して行った。あの火勢では、消防など何の役にも立たず、その消防自動車も、焼けてしまった。不二越には、すぐ横を走る立山線の枕木に、焼夷弾が落下したが、幸い、工場には命中しなかった。B29による爆撃の終わり頃、不二越にすぐ近い東部小学校へ、焼夷弾が命中し、大きな火柱と共に全焼したのが見えた。

 空襲を終えた米空軍B29の大編隊は、無キズでゆうゆうと南下し、基地へ帰って行った。富山市では、その後も、相当長時間燃え続けていた。悪夢であってくれればと思ったものの、地獄の真只中と思われる富山市の惨状の全ては、現実だった。 』

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☟ここをクリックすると本が読めます。
文山秀三著「人生日記」へ
[ 2021/02/10 08:07 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

文山秀三著 「満洲物語」

今日紹介するのは、文山秀三作「満洲物語」です。
文山秀三著「山ざる」の続編で、関東軍独立混成第一旅団の衛生兵として、中国各地を転戦し、体験した戦争を、原稿用紙千枚に綴った貴重な戦争体験記です。

前書きの部分を紹介します。
まえがき
 スポーツの試合を見に行っても、どこの公園を歩いて見ても、盛り場と言われる街角に立っても、老若男女どこを向いても、平和そのもので、平和とはこんなに楽しく美しいものであることを、再確認している者の一人です。「このご時世に平和などと、今更とぼけたことを言う奴だ」と、お笑いになる向きも多いかと存じますが、過去半世紀には、「平和でない」時期があったことも事実です。

 第一次世界大戦中に生まれた私は、子供の時には、世界恐慌に押し潰されそうになり、働けど働けどの日々が続いた後、物心が付いた頃、満洲事変が起こりました。昭和十一年二・二六事件が発生、「流れ弾丸が飛んで来るかも知れないから、銃声のする反対側の壁の陰に隠れるように」や「兵に告ぐ」の放送にも、熱心に耳を傾けたものです。そして、その年、私は徴兵検査を受けました。

  その頃は、国民皆兵と言われ、徴兵制度があったので、男であれば誰でも、二十才に徴兵検査を受けることに定まっていて、甲種合格になった者が現役兵として、入営することになっていました。当時、満洲に関東軍という陸軍部隊の集団があって、満洲事変以来、その勇戦振りが世界に知られていたと言われ、体力のありそうな者を関東軍へ入営させていました。そのような伝統があったためか、実際の教育訓練は厳しく、荒く、人間の限界と思われることもしばしば行われたようで、「兵舎は、監獄部屋」と言う者さえありました。その頃の日本全体の陸軍兵力は、さぞ多かったろうと思われる方もあるかと存じますが、現役兵の数はそんなに多くなく、領土の単位面積から言えば、現在の自衛隊の方が遥かに多いように思います。その関東軍へ、昭和十二年三月一日に入営し、その年、七月七日に日華事変(支那事変)が勃発しました。「人権」や「民主々義」と言う言葉も聞くことができなかったその頃、男ばかり、生意気盛りの者の集りでしたが、兵達はみんなよい男ばかりで、よく頑張り、国を愛する心も持ち合せていました。

  本書は、二十一才から二十七才にかけての私が歩いて来た道を、思い出すまま書いたもので、鉛筆で、暗号や符号などの走り書きした僅かなメモなども見ながら、書き始めました。そのメモも、紙が破れ、散逸寸前になっていたり、鉛筆書きの字も薄くなったりしていて、何度も読み返しながらようやく書いたものです。

 新憲法で育てられた方々には、納得できないような私の言動が、散見されると思いますが、今の人達の顔色を見て、加減することなく、その当時のことを、自由に書いたものであることを申し添えます。

 勿論、文筆には全く素人の私ですから、専門家からお叱りを受けるような言葉づかいや表現方法があり、文法にそぐわないところ、読み難く戸惑われる箇所も多いかと思いますが、それらの点は、何卒ご容赦のほどをお願い致します。」


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☟ここをクリックすると本が読めます。
文山秀三著「満洲物語」へ


[ 2021/02/09 08:59 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

文山秀三著 「山ざる」

今日紹介するのは、文山秀三著「山ざる」です。

文山秀三さんの経歴は次のようです。
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この作品は、文山秀三さんが、尋常高等小学校を卒業して東京の昭和無線工業に入社し、働きながら早稲田大学付属工手学校電気科で学び、昭和12年徴兵にて入隊するまでのことを自伝的小説に書いたものです。

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☟ここをクリックすると本が読めます。
文山秀三著 「山ざる」へ

[ 2021/02/08 15:05 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)

ふらりきままに第10集

今日は、ふらりきままに第10集を紹介します。
第Ⅰ0集には、「1泊2日名古屋への旅2010.2」 「私の街道歩き」 「旧東海道関宿を歩く」 「近江八幡市水郷の風景」 「南砺市五箇山 相倉集落・菅沼集落」 「紅葉の京都へ」 「金沢の風景」 「水彩画で綴る想い出の風景」など旅人の旅日記8編を収録しています。
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☟ここをクリックすると本が読めます。
ふらりきままに第10集上巻へ

ふらりきままに第10集中巻へ

ふらりきままに第10集下巻へ
[ 2021/02/07 04:57 ] ふらり きままに | TB(0) | CM(0)
プロフィール

細入村の気ままな旅人

Author:細入村の気ままな旅人
富山市(旧細入村)在住。
全国あちこち旅をしながら、水彩画を描いている。
旅人の水彩画は、楡原郵便局・天湖森・猪谷駅前の森下友蜂堂・名古屋市南区「笠寺観音商店街」に常設展示している。
2008年から2012年まで、とやまシティFM「ふらり気ままに」で、旅人の旅日記を紹介した。

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